さりさり

ファーザーのさりさりのレビュー・感想・評価

ファーザー(2020年製作の映画)
4.7
何をどう書いていいのかわからない。
でも最後まで観て思ったのは、やはり人は最期まで自分の家で、自分が本当に愛する家族たちと一緒に暮らせることが一番幸せなんだろうなってこと。
もちろん痴呆症患者を抱えた家族に大きな負担がかかるのはわかる。
でもあのアンソニーの怯えて泣く姿を見た時、本当に必要なのは、薬じゃない、最新の医療技術でもないと思った。
側にいてほしいのは娘であり、息子であり、自分を愛してくれたママなのだ。

私は十数年程前に痴呆症と失語症を患った父を亡くしているが、父の意識がこのような感覚だったのかどうかはわからない。
でもこの主人公の苛立ち、不安、恐怖、孤独感、それらの全てが父と重なり、泣けて泣けて仕方なかった。

アンソニー・ホプキンスの演技は圧巻。
表情、しぐさ、声、全てが神がかっていたと思う。

*****

今から十数年前の話です。
脳梗塞で入院、やや回復し、病院から退院したばかりの失語症の父が、ある日突然、家の中からいなくなりました。
慌てて外に出た母は、遥か前方に一人で歩いている父の姿を見つけました。
急いであとを追いかけた母ですが、足の悪い年老いた母はなかなか追いつけません。
二人の距離は縮まらないまま、父は人気のない農道を歩き始めました。
周りは畑だけ、家や車の通りがほとんどない、どこまでも続く農道です。
「おとうさん! どこ行くの! 待って!」と叫んでも、父には届かず、足の早い父は何かに取りつかれたように、どんどん先へ進んで行きます。

汗だくになり、小一時間ほど歩いた時、一軒の小さな会社を見つけた母は、そこに飛び込みました。
事情を説明すると、人の良さそうな社長さんが急いで車を出してくれました。
その車でやっと父に追いつき、父を車に乗せ、無事に家に帰ることが出来ました。

車の中で社長さんは「父さん、思いっきり歩きたかったんだよな」と父に語りかけ、父は汗だくの顔でうんうんと何度も頷いて、子供のように満面の笑みを浮かべたそうです。

気のすむまで、ただ歩きたかった─。
それまで病院でベットの上に束縛され、行動を制限されていた父は、思いきり自由に動き回りたかったのかもしれません。
それが生きている証であるかのように。
それまで夜なかなか寝付けなかった父は、その日だけは早くからぐっすり眠れたそうです。

私が年老いて、もし父のようになり、訳もわからず歩き回ったとしたら、その時、一生懸命あとを追いかけてくれる人はいるんだろうか。
叱りもせず、優しい言葉をかけてくれる人はいるんだろうか。

ふとそんなことを考えてしまい、暖かい春の日、どこまでも続く農道を歩いている父と母の姿を思い浮かべ、胸がいっぱいになりました。
さりさり

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