kuronori

キネマの神様のkuronoriのネタバレレビュー・内容・結末

キネマの神様(2021年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

2021/8/8追記

観てきました!
映画化決定以前に原作は読了。
さらにTV放送でメイキング番組を観てからの鑑賞。
公開二日目、名古屋市外、周辺の市にあるシネコンの土曜日の二回目の上映で30%程の入り。
(大丈夫か?)

原作には過去パートはなく、主人公はゴウの娘で、物語上の視点はこの人のところにある。父親はSNSでの映画評論が海外で認められることによって再生する。
原作者自身の家庭を基にした、私小説的な側面をもつ作品である。

映画化にあたって付け足された、主人公ゴウが松竹大船撮影所で過ごす助監督時代は、山田監督サイドからの提案で、映画オリジナル。
(この辺の詳細は、是非パンフレットを買って読んでみて下さい。面白いよ。)

開始しばらく台詞回しに違和感がある。「今どきこんな言葉で話さないよ」的な感想が散見されるが、そうではないと思う。
話し言葉や台詞回しが自体が古いから違和感があるんじゃなくて、昔の話し言葉の脚本を、自然にリアルに感情をのせて自分の台詞として演技することが出来てないから違和感があるのだと思う。
古い時代につくられた作品で古い言葉を話してるのを聞いても違和感は感じ無いわけで、現代言葉でないと違和感なく役を表現できないのなら、時代劇とかやれないような…。英語で違和感なく芝居して活躍してる人だっているのだ。

残念なのは、過去パートで表現される大船撮影所での映画に賭ける青春の日々が思ったよりも薄いこと。
尺の関係はあるかもしれないが、もっと大船撮影所を駆け回る日々の疑似体験をさせてもらいたかった。

松竹大船撮影所50周年のときに山田監督で作られた「キネマの天地」は、戦前の蒲田撮影所を描いたもの。今回の松竹映画100周年では、同じく山田監督が戦後の大船撮影所を描いている。
こちらは実際の山田監督のキャリアとドンピシャで、一見ゴウは山田監督自身のように思える。しかし実際は、ゴウは山田監督のアンチテーゼ的な存在なのではないだろうか。
ゴウがどのような経過で映画業界に入ったのかは詳しく語られない。(ここらあたりの人生描写の薄さが、今ひとつ過去パートの映画にかける情熱を醸し出さない原因なのでは?)…が、「飯を食うため」に就職し「優秀な助監督ではなかった」山田監督に対して、ゴウは「映画に夢を賭ける」目端のきいた「優秀な助監督」である。
そして決定的な違いは、初監督作品の撮影直前に訪れる。不安に押し潰されそうになった山田監督は、師匠の野村芳太郎に助けを求めたとか。そして師匠から「周りにきけばいいんだよ。あなたの何倍もキャリアや技術のあるスタッフがちゃんと教えてくれる。大事なのはスタッフを信頼することなんだ。人を信頼できるってことはひとつの才能でもあるんだよ。」的なアドバイスをもらったとか。この一言が貰えなかった山田洋次がゴウなのだと思う。
人生はホントに、そんな些細な一言やあまり判らずにした一投足によって激変してしまうことがあると思う。

話は変わるが、原作者の原田マハさんは、映画のストーリーに沿った小説「キネマの神様 ディレクターズ・カット」を新たに執筆したとか、これも是非読みたい。




映画を観ての帰り。
よく隣りにいる人が
「私、子供の頃江戸川区に住んでて、夏休みは茅ヶ崎の親戚の家に泊まりに行くのがお決まりで、大船撮影所はよく連れて行ってもらったよ。今の太秦の映画村みたいになってて…。」
おいおいおいおいっ、なんだってー!!
そんなことは初めてきいたぞ!?
江戸川に住んでたって!?
ってか、君は往年の大船に入ったことがあるのかっ!?

…これが今回最大のびっくりポンでした。

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2020/2/25

原作読んで結構気に入ってた、原田マハさんの「キネマの神様」が映画になるんだ!…とびっくりしてたら
なんと山田洋次監督!

ちょっと待ち遠しいですね。
kuronori

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