湯呑

コレクティブ 国家の嘘の湯呑のレビュー・感想・評価

コレクティブ 国家の嘘(2019年製作の映画)
4.7
国家の不正を暴こうとする記者たちの姿を描いた映画、というのは『大統領の陰謀』とか昔から色々とあって、最近では『ペンタゴン・ペーパーズ』や『記者たち~衝撃と畏怖の真実~』といった秀作が記憶に新しい。これらの作品に共通しているのは史実をもとにした劇映画として作られている、という事だ。ところが、本作は純粋なドキュメンタリーなのである。しかも、事件が決着した後に関係者の証言やニュース映像を構成して作られた訳ではなく、新聞記者が政府の不正を追い、新しく就任した保険大臣が医療制度の改革を行おうとする姿を完全にリアルタイムで追っているのだ。これには驚いた。既得権益を守る法の壁にぶち当たり懊悩する保険大臣や、医療行政の歪んだ実態を知り憤る記者の姿など、本作からは騒動の渦中にいる人々の生々しい息づかいが伝わってくる。しかも、カメラを回している時点では、事態がどの様な結果を迎えるのか全く分かっていないので、スクリーンを見つめる我々も事の成り行きを息を呑んで見守るしかない。この様に、対象を事後的に「総括」するのではなく、同時並行的に「観察」していくからこそ生じるサスペンス性は、フレデリック・ワイズマンや原一男の手法に近いのかもしれない。監督を務めたアレクサンダー・ナナウが取材対象に信頼されていた、という事なのだろうが、日本だったらここまで何もかもオープンに見せてくれる、というのはあり得なかった気がする。
事の発端は、2015年10月30日に起きた、ルーマニアの首都ブカレストにあるライブハウス「コレクティブ」での火災事故である。「コレクティブ」には非常口が設けられておらず、観客の避難が遅れて27人が死亡、180人が負傷を負う大惨事となった(この火災の模様をスマートフォンで撮影した映像が劇中でも挿入される)。非常口の無い建物に営業許可を出していた事に国民からの批判が集まり、政府の責任を追及する市民デモが広がった結果、ヴィクトル・ポンタを首相とする政権は退陣するに至った。しかし、事件はそこで終わらない。
重度の火傷を負った人々はルーマニア国内の火災医療病院に運び込まれたものの、その内37名が入院中に死亡したのだ。中には一命こそ取りとめたものの、手足を切断しなくてはならない程の障害を負った者までいた。入院先で死亡した37名の死因は火傷ではなく、院内感染による感染症だったのである。大規模な院内感染が発生した原因は、製薬会社が納入していた消毒液の濃度が意図的に薄められていた為だった。なぜ、そんな不正がまかり通っていたのか、病院側も不審に思わなかったのか、そもそも明らかにキャパシティを超えた火傷患者を受け入れたにもかかわらず、なぜ国外病院への移送を積極的に行わなかったのか。記者たちの取材により、製薬会社と病院、そして医療行政が汚職まみれのずぶずぶの関係にあった事が明るみになっていく。チャウシェスク独裁体制から民主化を果たした筈のルーマニアだが、劇中である人物が吐露する様に、その政治体制は芯から腐り切っていたのだ。
そんな中で唯一、火災被害者が病院で死んでいく理由を調査し報道するメディア「トロンタン」の記者たちと、医療行政の不備を正そうとする新任の保険大臣ヴォイクレスクの真摯な姿だけが、観客にとっては救いとなるだろう。しかし、正しさだけでは勝つ事ができないのが政治の世界である。本作が迎える結末は私たちに、民主主義とはいったい何なのか、国家と国民のあるべき関係とはどの様なものなのか、という根源的な問いを突き付ける。結局、人々は自分に影響の及ばない範囲でしか正義など求めていないのだ。選挙なんて結局、10万円とかいうはした金で国民を釣ろうとする詐欺師と、そいつらに投票して何かを成し遂げたつもりでいる馬鹿がやってるクソイベントなんだよ!そんなもんで世の中が変わると思ったら大間違いだ!そんなにクーポン券を配りたいんならプリントゴッコか何かでお前が刷ればいいだろ!2016年のルーマニアの姿を描いたこの映画は、どこの国でも馬鹿には理屈が通じない、という残酷な事実を教えてくれる。
湯呑

湯呑