ずどこんちょ

ライムライトのずどこんちょのレビュー・感想・評価

ライムライト(1952年製作の映画)
3.4
誰も笑わせることができなくなったかつての喜劇王が、たった一人の心を病んだバレリーナを笑わせます。

自殺未遂を図ったバレリーナを救い,彼女の脚が麻痺している原因を心の問題と見抜き、元気付け、再び歩かせることに成功したかつて栄華を極めた道化師のカルヴェロ。
ステージに復活したテレーザはその才能を発揮し、やがてダンサーとしての成功を収めていきます。ところが、カルヴェロのステージはどんなに奮闘してもかつてのように観衆を笑わせることができなくなっていったのです。

根底に流れる「若さと老い」の対比が、カルヴェロの未来を閉ざして苦しめているのは否定できません。
テレーザは精神的な苦痛を乗り越えステージに復帰した後は,みるみるその元来持っていた才能を発揮してスター街道へと走ります。さすが、若さもエネルギー。
一方でカルヴェロは奮起しても先が短い。むしろ、老いたカルヴェロのコメディは観衆の興味を引きません。
ステージ復帰を断念したカルヴェロは街芸人となって日銭を稼ぎます。
併せて、元気になったテレーザはカルヴェロに恋をして結婚を申し込むのですが、やはりこちらもカルヴェロがテレーザの愛に応えられません。未来に扉を閉ざしていたのはカルヴェロも同じなのです。

この役を老いたチャップリンが監督し、演じるには、あまりにキャラクターが重なり過ぎています。
どれほど自分の半生や思いを乗せて挑んだことでしょう。長編映画で初めて素顔を晒したという点も、まるで自身をさらけ出したかのようです。テレーザを励ます台詞の一つ一つが、若い同業者を激励する彼自身の言葉のように聞こえてきます。

そしてこの作品の公開後、チャップリンは政治的理由によりアメリカへの再入国を許されなくなりました。
チャップリン自身はカルヴェロほど喜劇俳優として落ちぶれることはありませんでした。しかし、年相応に手応えを感じなくなり、そしてアメリカからも冷たい目線に晒されていたことでしょう。
舞台で最後の花火を打ち上げ、幕を閉じるカルヴェロの姿に、虚構と現実が融合して何とも言えない切なさが響きました。

そして何よりの見どころは、チャップリンと共に三代喜劇王と数えられたバスター・キートンとの最初で最後の共演。
二人が共演したステージはとても面白かったです。