映画を見る猫

ライムライトの映画を見る猫のレビュー・感想・評価

ライムライト(1952年製作の映画)
4.0
チャップリンの作品を年代順に全部見よう。
そんな気持ちで最近、キーストン時代の短編作品ざっと35本ほどを一気に見ていたのだけど、これは無謀だとリタイアしてしまい、ここまで飛んできてしまった。
だからこそ、メイクを落としたチャップリンの顔に刻まれた皺に老いを見て、ハッとする。
そうだ、チャーリーはアニメに出てくるようなキャラクターとは全く違う。
彼は、生きていたんだと。
音が加わり、映画の技術は進化して、白と黒の微細な濃淡は、彼の老いを我々に赤裸々に暴露する。
時代や技術の変化の中で、彼がチャーリーの姿を捨てたのは、きっとカルベロと同じく、既存の名声や様式に頼らない笑いを、いまもなお、自分が生み出せることを証明したかったのだろう。
それでもチャップリンの神がかったパントマイムにはサイレント映画が1番ピタリと当てはまる。
だからこそトーキー以降、チャップリンは、チャーリーではなく自らの姿と声をもって、聴衆に"語りかける"ようになった。
人生を、愛を、この世界の中で、信じていいものを、限りなく美しいものを。
ときには、残酷で物悲しく、うんと滑稽なものになるかもしれないけれど。
人間の精神の根幹にある、ずっと変わらない不変のものをチャップリンはずっと探し続けているような気がする。
そしてチャップリン自らもまた。
主人公のカルベロと違い、どんなに時代が変わっても、その人は、大衆のなかに永遠に生き続けていく不変の穢れなきアイコンであり続けるのだろう。