未熟児で生まれた娘を眺め、嘆いている母親のカットから映画が始まるが、この時点だけで不穏な雰囲気が滲み出まくっていて、いきなりゾクゾク来た…。
冒頭から醸し出された「何か違うぞ」という空気が、『シックス・センス』を彷彿させるぞ、と思ったり。
その娘は成長したが、さまざまな疾患を抱えてしまい、母の徹底介護のもと車椅子生活を余儀なくされ、彼女の行動範囲は自宅内に留まる。
この主人公が動けない設定は『裏窓』っぽいところもあるよなと。
アニーシュ・チャガンティ監督は、前作『search』を観たときはまだその作家性まではあまりわからなかったのだが、この『RUN』も観ると、ヒッチコックやシャマランの系譜で、スリラーの名手かもしれないですね!
『search』のときはオンラインの画面上のみで話が展開するという設定が珍しかったけど、「ネットが繋がらない⁉︎」と焦るような超オフライン設定に振ってもしっかり魅せて、かなりハラハラした90分でした。
これで“ひと癖ありそうなスリラーを作りそうな監督”だと僕の印象に完全に刻まれたので、次回作も監督の名前だけで観たいと思ってしまうこと確実です。
スリラーの中にある人間関係についても『search』と同じく親子の関係性の話だったことが共通していますね。
この映画では、母の愛情が狂気のレベルまでエスカレートしているわけだが、子供の自立に対して親がどのように向き合うか、というのがテーマだったと思います。
子離れ出来ない母と、早く自立したい思春期の娘の様子を、あの手この手の極限設定で料理して、スリラーの形に仕立て上げた。
親からの自立って、ある意味では脱出ゲームみたいなものなのかもしれないですね(笑)