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舗道の囁きのmingoのレビュー・感想・評価

舗道の囁き(1936年製作の映画)
4.1
タイトルの格好良さで言ったら全映画の中でも1、2を争う。
本作は加賀まり子の父親で戦後大映のプロデューサーとして活躍した加賀四郎が昭和11年に製作した戦前唯一の日本初の本格的なタップ映画。

そんな彼は陽気なミュージカル映画が大好きで、若手ダンサー中川三郎と人気ジャズ歌手ベティ稲田を起用し、日本版アステアロジャース映画を目指したわけだが、製作時には一度も上映されないまま葬り去られてしまい、93年にカルフォルニアUCLAで発掘されフィルムセンターに収蔵されたのち上映はほぼ一回されたのみの伝説の映画(ちなみに戦後一週間ほど「思い出の東京」というタイトルでかかったという話も時を超えて現代に蘇った感があってエモい)だけあってジャズファンで埋め尽くされ、瀬川昌久氏の解説もあり、なんともまぁ至福な映画体験だった。

主演2人のタップダンスはもちろん文句無しの素晴らしさなのだが、2人のデュエットで何度もリフレインされる服部良一作曲の主題歌「舗道の薔薇」がとにかく心に沁み渡る。服部良一はもともとは大阪のそば屋のサキソフォン吹きだったが、見出されそれ以降加賀四郎の映画の音楽の8割ほど手掛けているらしい。

またクラリネット奏者の北村英治に本作を観てもらった際、指が寸分の狂いもなくあっており、それくらいプロのコロンビアジャズバンドなどが関わって作られた音楽熱の塊みたいな映画だったことが想像できる。

そして映画が発掘されたとき、すでに主演の中川三郎さん以外の俳優は皆亡くなっており、彼だけが観たという玉手箱的エピソードに心が揺らぐのである。

「若い僕らはジャズが好き〜♫」
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