朝子

悲しみが乾くまでの朝子のレビュー・感想・評価

悲しみが乾くまで(2008年製作の映画)
4.5
作品紹介の簡単な粗筋を読んで、夫を亡くしたセクシーな妻とヤク中のセクシーな夫の親友を観ると、どうしても、いつくっつくのか?という先入観で鑑賞してしまっていたが…全然違う。白状すれば、そう、ベニチオ目当てだ。
脚本があるのだから、謀ってはいるとはいえ、沁み入る奥深さを考えると時間が過ぎる、日が暮れる。そして、夜空に浮かんでいるであろう星は自ら輝いているのか、光を反射しているのか、と考えている。

裕福さは生活にとって大きな味方なのに、悲しみは癒やさない。そして結局は、2人の別離も引き起こす。親友のヘロイン離脱で必死に行動し、生気が戻る妻をみれば、単純に生活資金の為に働いていたら、とも思う。心の内に妻の姿をみた親友は、妻からの金銭援助で更生施設に入る。妻に余裕がなければ、もしかしたらゆっくりゆっくり何かが始まったかもしれない。でも、子供と穏やかに過ごせる日常や、薬物からの脱却は裕福さのお陰だ。夫の残した裕福さは善だろう。しかし、善の真意の表裏が感慨深い。

原題の、火事で失くしたもの。失くしていなかったものを亡くした慟哭が、やっと悲しみを癒やす始点となる。が、切ない。

そして、あのラストと邦題。
悲しみは乾いたか?乾いていない。ただシャワーにうたれてはいない。濡れていても。土砂降りの雨でも車を運転できるのだ。赤い薔薇の善意も受け取れる、妻の輝きだした人生の希望がみえる。

ただ、最後は親友。これが逆なら明るい場所だけをみるのに。
親友の決意の意味と深さと濡れた目を見れば、過去の自分や夫や、妻と子供達との日々を失くした、親友の悲しみが乾くまで、どれだけかかるだろう。また、薬の確保を夢にまでみて安心する薬物依存は死ぬまで続く。自分の存在が、自ら輝く妻や子供達の行く末に影を落とすだろうと、彼は知っている。ブライアンという輝きを意味する親友やその妻や子供達の輝きを反射している自分を知っているのだ。
親友が赤い薔薇に託した「善(意)」とは?
2度と触れないと、薬物だけでなく、妻や子供達に2度と関わらない、のが、彼が考えた、彼のできる善意、という事ではないだろうか。
朝子

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