マンボー

まともじゃないのは君も一緒のマンボーのレビュー・感想・評価

3.0
意外に評価が高いのに、賛否が分かれていたので気になって映画館へ。

序盤、あからさまな高校生カップルを異様なほど悪しざまに言う女子高生グループに冷やり、これはどうも好まざる作品のような。

さらに清原果耶の頭でっかちなくせに、なぜか自信満々、おそろしく身勝手なキャラクターに、いつも清楚で影のない役ばかりだからちょっと毛色の違う役をやりたかったのかもしれないけれど、よくぞまぁ、この役を選んだなぁと。

率直に云って、この作品の良さはほとんど分からなかった。ストーリーは、見た目は爽やかだけど、中身はどうしようもない小泉孝太郎さん演じる青年と、その恋人でホテル経営者の娘とを引き離して、ホテル経営者の娘を、主人公の成田凌演じる数学者に奪わせて、爽やかで心酔する小泉孝太郎の方を手に入れようとする小娘高校生の清原果耶のこざかしい悪だくみの顛末なのだが、序盤で小泉孝太郎の浅はかさが描かれて、清原果耶の目的意識は薄れる。ところが成田凌の方は、彼女には無理なく振る舞えて、自分の話の聴き手になってくれるだとかで、ホテル経営者の娘を振り向かせようとむしろ気持ちが乗ってきてという展開に。

観賞後、本屋に立ち寄ったら本作の原作が平積みになっていて、ざっくり読んでみて驚いた。作品は、原作に恐ろしいほど忠実で、小説はほぼ脚本そのもの、映画監督の物語に対する作家性はまるで感じられなかった。

本作には、奇妙に思えた点が多かった。

専門バカの男性数学者は、世間離れしていて、女性慣れしていないものの、普段の発言から倫理観は手堅く断固とすらしているのに、相手が未婚とはいえガラになく、恋人同士の仲を裂き、女性の略奪に踏み込もうとすること。

小娘の悪だくみは、人として最低にも近しい動機なのに、観客はそれに付き合わせられること。

小娘は、数学者に惹かれてゆくのに、最後までその表向きの態度に変化がないこと。たとえば、数学者の独特の森への想いに本当に共感したのであれば、最終盤は彼の話をさえぎらず静かに聴き入るぐらいの変化があってもよいと思う。

少なくても自分の目から見ると、数学者は女性慣れしておらず、興奮すると独特の数学用語が口をつく世間の狭い人物だが、それ以外の考え方などは、ごくまともで普通の人だった。

価値観における、普通だとか普通じゃないという判断が、小娘の主観に合わせられていて、数学者が彼女をめいっぱい尊重していることを表しているのかもしれないけれど、普通には理解しがたく、付いて行きづらい構造だった。

まぁ、作り話を楽しむ決意をしている人や、清原果耶が素敵だからと全てを許せる人には楽しめるかもしれないけれど、俗で下世話で稚拙で逆しまな計画に付き合わされるのには参ったかな。数学者も普段はまともなことを言っているのに、どういうわけだか、小娘の言いなりで都合よく分別を失ってその気になってしまうし。

本作を面白がっている人に冷や水を浴びせるつもりはないけれど、これを面白がっている自分の危うさに無自覚でいるなら、それは鈍感過ぎるのではと思う。

でも、まともなことを言っている冴えないジャケットの数学者のキャラクターは類型的だけれど嫌いじゃないし、まっとうなことを言っているときの熱さも嫌いじゃない。
また、小泉孝太郎さんの口だけの役柄は、よくやったなぁと。自分はかの人の弟の小泉進次郎大臣のことは、特に応援も毛嫌いもしていないけれど、巷ではなまじっか、聴衆に合わせて耳心地のよい、浅めの話をされる機会が多くて、大臣就任後は誰かからの嫉妬だったのか、恐ろしく批判にさらされて大変そうで、どうもそんな弟さんに重ねられかねない役柄に見えてしまった。

まぁ、役者とはどこかで悪役をやりたくなるもので、かつ本作では悪女役じみた清原果耶さんと比べても、かなり見事にハマっていたので、役者冥利に尽きる配役だったのかもしれませんな。