土平木艮

瞽女 GOZEの土平木艮のネタバレレビュー・内容・結末

瞽女 GOZE(2019年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

あらすじ…主人公・ハルは生後3ヶ月で視力を失う。母・トメは、占師のお告げで『ハルを瞽女にすること』『盲目のハルが一人で生きていける様に厳しく躾ける為に"鬼"になること』を勧められる→ハル2歳の時、父他界→6歳で瞽女のフジ親方への弟子入りが内定。一人で生きて行ける様にするため、トメの『鬼の躾』が始まる。針に糸を通す練習などを経て『体全体で感じ取る』コトを学ぶ→近所の子供達との触れ合い、フジ親方からの厳しい課題など経験した後、7歳でフジ親方に弟子入り→8歳で初巡業。その年、トメ他界。しかし、実母の死にも涙を流すコトは無し。母が『鬼』としか思えなかった模様→意地悪なフジ親方から、瞽女としての技術・振る舞いを学ぶ→15歳でフジ親方から暇を出される→サワ親方からのスカウトを受け、弟子入り→サワ親方から『瞽女の心』を学び、その優しさに母性を感じる→18歳。体調を崩したサワ親方に代わり、手引きのサヨと巡業へ。嫉妬から暴力を振るうサヨ。大怪我を負わされ、子供の産めない体になってしまう→サヨはクビ。新たな手引きの妹弟子や、幼い妹弟子・ハナヨと巡業へ→巡業先でサワ親方危篤の報せ。急ぎ帰郷→ハルに三味線を託し、サワ親方他界。ハル、親方になる→ハナヨを一人前にする為、かつてトメにされたように厳しく躾ける。しかし、ハナヨの『親方は鬼だ』の言葉に、ハル自身とトメの関係を思い出す。『母は鬼じゃなかった。優しさ故の厳しさだったんだ』と気付き、涙を流す→3人で巡業を続けるハル親方一行→→→エンドロール前、『瞽女について』『ハルのその後』の説明が入る。小林ハル本人の演奏・歌唱が流れ、エンディング。




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瞽女…三味線を弾き、歌をうたって渡世する盲目の女性芸能者。



『瞽女』と言う存在を知るコトが出来た作品。

エンドロール前で『福祉制度の礎を築いた存在』と説明されてた。
障碍を抱えた存在でありながら、自分にできる範囲、得意分野を活かして自活する…なるほど、『障碍者の自立』である。
更に、情報システムが発達していなかった時代において、各地を歩き回って得た情報を他の地域の人に伝える『情報屋』の役割を果たしていたとなると、その存在価値は益々高まる。
もっとも、現代に於いては、もっと違った形で社会に貢献するコトも可能だけど。


時代背景上、やむを得ないとは言え、現代の価値観からすると酷すぎる扱いを受け続けるハルの姿、瞽女の置かれた状況が見ていて辛い。
眼が見えないと判ると『よそ様に知れたら祟られてると思われるから、家から出すな』とか、『瞽女は男と交わってはならない。掟を破ったら、組織の中に居られなくなる』とか。

それと比べたら、現代はかなり世の中が良い方に変わって来ているようなので、この作品を観て『不快に感じる部分を反面教師』にすれば良いと思われる。

勿論、母親・トメの姿を見ていて感じる『愛すればこその厳しさ』ってのが有るのも、私としては分かるんだけど…。今の時代では受け入れられないのか?


小林ハルさん本人の晩年の言葉、『次の世では虫になってもいい。明るい目さえもらってこれればそれでいい』は、目の見える私には共感するコトも難しい、とても重い言葉。

これもハルさんご本人の『いい人と歩けば祭り、悪い人と歩けば修行』は、なかなか参考になる言葉。名言。



作品の出来栄えとしては、『連続ドラマのダイジェスト版』みたいな感じを受けた。編集の仕方なのか?

実在の人物を描いた作品だから、これが事実なのだとしたらそれは仕方ないコトなんだけど…『嫌な人物は徹底的に嫌なヤツ』『良い人は徹底的に善人』と、極端な描かれ方なのも気になった。


なんて言うか…ちょっと『もったいない』感じがした作品。


出演者は、さりげなく豪華。
土平木艮

土平木艮