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僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46のさのネタバレレビュー・内容・結末

4.5

このレビューはネタバレを含みます

最後に過去に戻る蛇足シーン以外は今年ベストワン級。

毛の生えたラノベのようなノリが続いた48/46アイドルドキュメントシリーズの中で、久々に噛み応えがある作品。エイキDは肝となるライブ素材があるとちゃんと構成が立てられるのだが、逆にソレが無いとどうしていいか分からず、「センターとは何か」みたいな陳腐化したテーマを縦糸にしてしまう。今作は、意味を載せられるライブシーンが強いのでそういった迷いが無い。つまり決め球は幾つもあり、それは見事に決まっている。そこへ繋げていくドキュメントの構成も巧い。

まず冒頭、入れ子への誘導となるライブ2連発のサウンドデザインでやられてしまう。一段、二段と過去へ遡る空間処理が絶妙なのだ。ここから物語は、謎めいた平手の正体を1から(デビューから)紐解こうとする。

これまで断片的に伝えらえる平手の、「作品に没入するあまり心神耗弱に陥った」とされる姿は真実なのか、単に彼女のワガママなのか。それに対しメンバーはどう考えているのか、運営がとった対策とは。を、時に平手にフォーカスし、時に俯瞰しつつ見事な編集で繋ぐ。平手は既に卒業しており、述懐は現メンバーのみ。「桐島部活やめるってよ」の構造に近い形で進行する。当時の映像と周囲の振り返りで失われた平手を読み解くのだ。

その結果浮き彫りになったのは、平手自身の問題よりも周囲の問題だった。まず、振付師のタカヒロが小池メンバーに「代理でセンターに立て」と背中を押す場面。これは振付師の仕事なのだろうか。彼の説得術をみるにその役は不適合である。歌詞をポエジーに膨らませて演者にヒントを与える翻訳家、としては良いのだろうが、メンタルケアをやれる人ではない。となると彼にその役を担わせた運営は何をしているのだろう。

終盤、エイキDが遠回しに「周りの大人スタッフ、無能すぎでは?」との意味を込めて水を向けた時に、(我々オトナが出来るのは子供たちを)「見守ること」などと、ポーズだけは良いが何の役にも立たない事を口にしてしまう振付師の言葉は薄く悲しい。

その「子供たち」であるメンバーの、頼りない発言も気になる。運営も平手頼みが過ぎるが、メンバーもまた平手頼みで、彼女が居ないと何もできない。不在なら代わりにやってやろうと言う者も現れない。一体なにの為にアイドルになったのか。情けない。PV撮影中、倒れる平手に駆け寄るメンバーの中で、1人我関せずで仁王立ちの鈴本メンバーの姿がある。仲間の絆すら崩壊した低意識の集団に、いつのまにか成り下がってしまっていたのだ。

そんな中、希望のシーンが訪れる。「二人セゾン」という楽曲を、平手ポジション空席のまま進行していた本番中、小池が意を決して間奏部のソロダンスを予定外で担う。文脈では感動的なシーンなのだが、これが困ったことに見るに堪えないパフォーマンス。小林メンバーが他曲でセンターを務めた際も同様で、さあいよいよという需要な局面で、見劣りの激しいステージを披露してしまう。よく頑張ったね、と言いたい気持ちは大いにあるが、正直なところ「死ぬ気でレッスンした結果がこれなのか」と目を背けてしまった。

そうして徐々に時間を進め、やっと2020年になった所で、なぜかまた時間が戻ってしまう。エンドマークだろうとすら思えたタイミングでだ。それまでずっと時制のコントロールが効いてたのに、あそこで急に崩れる。その上、冒頭で使った編集マジックを再び、それもしょうもない形で再利用して。総崩れと言いたいほど無粋な構成をとってしまったのには、理由があって、どうしても例の曲をフルで見せたいようだった。

これが、最も陳腐に感じるところで、「この曲のこの歌詞のこの部分が、彼女たちの(あるいは彼女の) 心情や状況を表している」と言わんばかりの擦り合わせが多過ぎる。ミュージシャンが自死した際、歌詞の一節を取り上げて「この、"翼広げて空へ飛び立とう"は自殺をほのめかしている」などと検証するワイドショーがあるように、メンバーの置かれた状況をリリックに預けようとする。重要な1回だけでいいだろう。ラストのその場面までに、ボクは既にお腹いっぱいになってしまっていた。
さ