僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46の作品情報・感想・評価 - 4ページ目

上映館(13館)

「僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46」に投稿された感想・評価

Iri17

Iri17の感想・評価

4.5
noteに詳しくまとめたので以下コピペです。

デビューしてから現在までのグループの歩みが描かれるドキュメンタリーだが、映画の大半はグループの中核だった平手友梨奈の存在の大きさと他のメンバーの平手友梨奈への想いが語られる平手友梨奈の引力の大きさを感じさせる映画だった。

僕は欅坂46の熱心なファンではないが、大学の時にアイドル文化論を研究していた関係で、欅坂46というグループの特異性について論文の一部にまとめたことがある。
そもそもアイドルとは何か、欅坂46が学術的な視点から見て何が特別なのか、そして欅坂46が(恐らく意図せず)行っていた「実験」についてまとめてみようと思う。

まず映画や欅坂46について語る前にそもそものアイドルの源流について解説しておこう。
民俗学者の柳田國男が1942年に発表した『妹の力』において、日本の巫女は男性に霊力を分け与える存在であるとされ、折口学の祖、折口信夫の『古代研究 国文学篇』でも、巫女は祭事の際に不特定多数の村の男性たちと肉体的に交わることでマレビト(神などの霊的な存在)の恩寵を男性たちに分け与える媒介としての役割が与えられていたという。

日本のアイドルの源流はこの巫女という職業が源流にあるとされる。巫女は神社という宗教的神聖さを纏い、男性に霊力を分け与える「道具」であるため自由意志は認められない。
だから今でもアイドルは自由恋愛が禁止される。アイドルを崇拝する男性たちは女性アイドルが恋愛をすることを許さない。もしアイドルの男性との恋愛関係や性的な関係が発覚すれば、ムラの掟を破った者を罰するように徹底的に追い込む。
アイドルファン、通称ドルオタがサイリウムを振って踊るダンスも、規則的かつ儀式的であり、熱狂的な一体感も相まってムラの祭事を彷彿とさせる。

欅坂46の話に戻ろう。欅坂46も従来の女性アイドルの例に漏れず巫女的である。ただ欅坂46は従来の女性アイドルとは決定的に違うある特徴を有している。それは実存主義や個人主義に向き合ったアイドルグループであるという点だ。

秋元康がプロデュースしたAKB48が10年代中盤頃から、資本主義的、さらに言えばブラック企業的であると批判され始める。2015年に結成した欅坂46は、女性を金儲けのプロダクトに利用しているという批判に真っ向から反発するかのように「君は君らしく生きていく自由があるんだ 大人たちに支配されるな」と歌い「不協和音を僕は恐れたりしない 嫌われたって僕には僕の正義があるんだ」と高らかに宣言した。

『半沢直樹』の記録的ヒットに象徴されるように、欅坂46のコンセプトは10年代に充満した新自由主義の行き詰まりの空気感、拡大し続ける格差社会に対する市民の不満をうまく汲み取った秋元康の巧みなプロデュース戦術であった。

しかし実際には「大人たちに支配されるな」と歌いつつ、その歌詞は全て秋元によって作詞されており、衣装も振り付けもクリエイティブな部分のほとんどにメンバーは直接関わっていない。
彼女たちが標榜する自由意志は強い虚偽性に裏打ちされたものであり、実際には他のグループ同様、秋元に支配されていたグループであった。

ところが秋元が予測しきれないあるファクターが存在した。

平手友梨奈の存在である。

秋元は「少女たちの実存主義」を欅坂46のコンセプトとして打ち出した。しかし、実際には秋元が操ることが分かり切っているこのコンセプトを大衆に信じ込ませることは無理がある。

そこで秋元は他のグループにはない圧倒的エースのポジションを前面に押し出したのである。平手友梨奈というカリスマはその役割を完璧に全うした。

彼女の情熱的で取り憑かれたようなパフォーマンスはカート・コバーンのステージング、ヒース・レジャーのジョーカーを想起させる。

コバーンは自殺し、レジャーは心身のバランスを崩し若くして失ったが、平手からは彼らのような危ういカリスマ性を感じる。

平手の圧倒的なパフォーマンス能力とカリスマ性はグループの虚構性に真実味を持たせ、実際は存在しない自由意志の存在を納得させるのに十二分に機能した。

映画の中でも描かれていたシーンを挙げてみよう。

「ガラスを割れ!」という曲のライブパフォーマンスにおいて、平手は突然ステージ前方に駆け出し、一人で情動的なダンスを披露した。曲の終わりと同時に意識を失いかけステージから転落する。これは「ガラスを割れ!」というテーマを意識した突発的なアドリブであった。

「不協和音」という曲では、曲の終了と同時に過呼吸になり、意識が朦朧とした状態で舞台裏に運ばれてしまう。ステージに倒れ込む振り付けで全く躊躇なく倒れ込むため脚などから血を流す。そんな状態で次の曲のスタンバイ場所まで運ばれ、次の曲が始まるとまた取り憑かれたような圧巻のパフォーマンスを始める。

映画の前半のデビュー当時はアイドルらしい笑顔を見せていた平手だったが、徐々に周囲のメンバーと距離を取り始める。MVの撮影の合間に他のメンバーが談笑していても一人で遠くを見つめ、みんなが椅子に座って集まっていても遠く離れて一人で床に座っている。

どれも普通のティーンエイジャーがやろうとしてできることではない。その姿は巫女が「表現」という名の神を自分に憑依させているようだ。だが平手は巫女とは言えない。

平手の独りよがりとも言える行動はメンバー間で浮いてもおかしくはなさそうである。ところがその他メンバーの平手への態度は異様なものだった。

ステージから転落した平手が負傷して、公演を休むことになった際「メインメンバーのいないのにやる意味がない」と舞台裏で泣きじゃくるメンバーの様子が映画では描かれている。
このような事態になったら自分をアピールするチャンスだと思ってもよさそうであるが、個人的友情があったとしても泣きじゃくってライブを放棄しようとするのは異様だ。
さらに、平手が活動休止を申し出た際「やめないという選択はないんですか?」と敬語で懇願するメンバーの様子がカメラに映される。

平手とメンバーの間には、個人的友情や人望以上の崇拝に似た関係性を感じさせる。平手はもはや巫女ではない。
古代・中世の日本人は巫女から得られる性的オーガズムを神との交流として感じ取り、現代人は「萌え」的な感情を神秘的な存在との交流に位置付けている。

ところが平手は巫女的な媒介としての機能を超え、彼女自身が崇拝の対象、すなわち神秘的な存在として君臨する。媒介ではなく彼女自身が神として崇められている。

映画のスチール写真は中央に君臨する平手と彼女にすがり付くメンバーの写真であるが、まるでルーベンスの絵画のような磔のイエスと使徒に見えなくもない。

週刊誌報道なので真意は不明だが、平手自身が感知しないところでメンバー内に「平手派」ならぬグループが出来上がり、平手不在時のセンターをいじめて卒業に追い込んだという。ここまでくると平手を神とした国家がグループ内に発生した言っていいレベルだ。

秋元は当初からここまでの平手のカリスマ性の発露を見抜いていただろうか?

グループは平手なしではもはや存在することができず、平手自身も「この曲の歌詞を表現することができない」と秋元に直接申し立て、納得できない曲のMVの撮影に参加することができなくなった。

平手は他のメンバーを置き去りにする形で本当にガラスを割り、自由意志を獲得してしまった。

一つのグループ内に一人の「神」とその他たくさんの巫女が共存する欅坂46は、今までの日本の音楽シーンに存在しない革新的なグループになった。

欅坂46は神(に祭り上げられた存在)と人間が一つの共同体の中で同じ共同幻想を抱くことは可能かという実験を意図せず行っていたが、その実験は失敗に終わったと言える。
結局、メンバーの中で自由意志を獲得をできたのは平手のみだった。


精神分析学者の岸田秀によると、人間は自分を基準としたヒエラルキーに上位の聖なる存在・絶対的権威を創造し、自分より下位に穢れた存在・差別対象を必要とするという。

上位の存在とは神話や宗教における神、日本民族にとっての天皇、ナチスにとってのヒトラー、市民にとっての芸能人や富豪、政治家、そして欅坂46という共同体における平手友梨奈と秋元康である。

欅坂46がかつてナチスの制服風の衣装を着て、反ユダヤ主義監視団体サイモン・ウィーゼンタール・センターに抗議されたことや「サイレントマジョリティー」のPVの振り付けの一部がナチス的敬礼を彷彿とさせると一部で指摘があがったことは決して偶然ではない。

「大人なたちに支配されるな」と歌いながら平手以外のメンバーが権威による支配を無意識下に望んだことのアンチノミーも何もおかしなことではない。
かつてドイツの国民がユダヤ資本からの支配を破壊するためにヒトラーを中心とした支配体系を生み出し、Arbeit macht frei(労働が自由を生む)という標語のもとでユダヤ人を働かせ、その裏で虐殺していたことと論理的には同じである。

(平手以外の)欅坂46のいう「大人たちに支配されるな」とは、日本帝国やナチスがユダヤ人に支配されるな、西洋列強に支配されるなと市民を鼓舞していたのと同義である。恐らくメンバーの誰にも、秋元にもファシズム的イデオロギーへのシンパシーなどなく、全て無意識的であっただろう。

岸田は、上位と下位の差別化と縁を切らない限り、戦争や暴力、略奪といった日常性への破壊衝動を抑えることができず、人類は血に塗れた歴史を繰り返すのだという。

岸田の理論に従えば、欅坂46は差別化との決別という実験に失敗した。共同体の中に平手という聖なる存在を生み出し、真偽は不明だが共同体の中に下位の存在を作り出しイジメが発生した。

結果的に、平手という神は自死しグループを脱退した。歴史学者トインビーが「神話を失った民族は必ず滅ぶ」と言ったように平手という絶対神の神話を失った欅坂46は崩壊し、改名して新たな共同体として道を歩むことになる。

これから新たな道を歩むグループが成功できるのかは、崇拝と蔑視の差別意識を捨て、一人一人が自由意志を獲得できるのかにかかっているのではないか、そしてそれはアイドルだけの話ではなく、国家や社会などあらゆる共同体にとっての課題ではないか、そう考えさせる映画だった。
r

rの感想・評価

4.1
2020.09.04
横浜ブルク、臼井

真実と謳っているが、
レイ

レイの感想・評価

-
2020.10.14 T
アイドルと言うよりアーティスト、芸術家っていう感じ。変な感じだけど今日から追いたくなった欅坂
tkr

tkrの感想・評価

4.5
あまり知らない僕でもすごくいい映画だったと感じました!
何度「不協和音」が流れたかわかりませんが、何度観ても鳥肌ものでした。
震えます。
moe

moeの感想・評価

4.5
にわかでも鳥肌が止まらなかった。

元々、デビュー曲のインパクトがすごかったし、その後の楽曲、そして平手さんの顔と表現力が傍から見て好きだった。
だけどどうしてもこの一派(秋○)が苦手で、嫌いで、これ以上の感情を持ちたくなくて手を出さなかった。

この度、欅としての終止符をうったタイミングだったのもあり、沼にはまる心配もないと映画館へ。多分これはDVDではなく劇場でみたほうが良いと思っていたので。

冒頭からライブ映像が続き、とにかく鳥肌が止まらなかった。コロナもあり、個人的には好きなアーティストにいろいろあったりして、エンターテインメントから距離をおいていたので、心臓に響く重低音、眩い光線、歓声が久しぶりで身体が震えた。やっぱりライブは最高。

ストーリーはまさに“真実の欅”。
にわかのままでは感じ取れなかったメンバーたちの想いや素顔を見ることができた。

そしてやっぱり平手さんのパフォーマンスは圧巻。もっと見てみたかったけど、区切りをつけたのもなんとなく納得ができた。

何より、頼りきっていたメンバーたちが、センター代役をつとめるなかで成長していく姿が素晴らしかった。

すっかり虜になってしまったので、欅が無くなったこのタイミングで見てよかった。
これからは新たに櫻坂として頑張ってください。

※アイドルなんて、表で頑張る姿が見れるだけでじゅうぶん。
プライベートは知らなくていい。週刊誌は滅亡しろ。
E

Eの感想・評価

4.2
中身が未完成なままイメージが先行してしまってメンバー達は色んな事に揉まれてたんだなって。1つ1つの楽曲は本当に素晴らしいと思うから、名前が変わっても頑張ってほしい
朋美

朋美の感想・評価

4.2
ファンではないけれど予告を観て気になったので観賞。ライブパフォーマンスやMV撮影の様子などをたくさん観れて楽しめた!どの曲もただかっこいいやかわいいだけじゃなくて曲の世界観がしっかり伝わってくる表現力の高さが素晴らしいと思った!
T

Tの感想・評価

4.3
ニワカでも楽しめました

1時間半くらいかと思い劇場を出て時計を見たら2時間16分経っていて驚いた
時計壊れたかと思った笑
それくらい体感が短かった

1人の少女の精神的な、もしかしたら何かの病気だったのかもしれない
でも精神的なのって他人からは分かりにくくて
その少女を頼るメンバー、運営
会社に辞めたいって言って辞めるまで2年かかるって大人でも頭おかしくなるよ

勿論この映画がメンバー全ての想いとか出来事を描いてる訳ないんだけど
素晴らしいアイドルだったってことは凄く伝わる作品でした
さおり

さおりの感想・評価

3.6
どこまでが本当の本当なのか。
アイドルになりたいと思って日々努力してきた女の子が、「バックダンサーでいい」
と思ってしまうことがある。
とにかく色々考えさせられた。
張り詰めて締め付けられて
そうしないと出来ないものなのか。
飛んでるはえの一点を針でつく。
真ん中にいる人を視界の右左に見ながら周りを見る。

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