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キャンディマンのhorahukiのレビュー・感想・評価

キャンディマン(2021年製作の映画)
4.1
「伝える」ことの責任「伝わる」ことの検証

全身蜂だらけ変態ストーカー『キャンディマン』の約30年ぶりの続編。「伝える」ことと「伝わる」ことを都市伝説の観点から分析した優れた作品でした👍リブートではなく「続編」なので、2と3は不要だけど、1だけは見てからの方が良いです!これ見るにあたって、1はかなり重要!

リメイクかリブートだと思ってたのですが、まさかの新旧『ハロウィン』的な関係性となっていることに驚いた。『2』と『3』はキャンディマンの家系を深掘りすることしかしないダメな方の続編だったけれど、本作ではキャンディマンを象徴化させ、それを政治主張のための偶像として祭り上げ利用することを批判する『クイーン&スリム』と同趣旨の作品となっていた。

『クイーン&スリム』はボカして隠れ蓑を着せていたけれど、本作はかなり攻めていて、祭り上げるために施される「事実の歪曲」を真正面から描いている。事実に尾ひれがつき広まっていく都市伝説の性格の強い『キャンディマン』を題材として選択した意図がそこに見出せる(実際に『2』と『3』ではキャンディマンの生い立ちが微妙に異なるという都市伝説性がある)し、前作のバージニアマドセンの顛末が30年の時が経ちどのように伝わっているかの検証を観客に委ねていることからもそれは明らか。

そしてそのマドセンの顛末と実際に伝わった内容の対比は、本作のクライマックスで起こる事件とリンクさせており、それが本作のキモとなっている。「みなに伝えろ…」こそが彼女に課せられた「伝える」ことの責任であるし、事件そのものは人種差別に根ざし発生したものでありながらも、それにより政治的偏りを煽るものではなく、双方の主張に彩られた歪曲というフィルターを取っ払った先にある完全無欠な「事実」を対象とした言葉であることは間違いないでしょう。

確かにBLM要素は強いけれど、ここ数年アホみたいに量産され、その度に絶賛され、アカデミーにノミネート?受賞?したりする「乗るしかないこのビッグウェーブに!」な勝ち確搾取映画たちとは一線を画していると私は思う。10年後くらいにその時の世相を反映した上で本作の検証的な続編を作ったら面白いだろうなって思った。続編では、彼女は「どう伝え、どう伝わった」となっているのか…楽しみ♫悪化してる可能性もあるけど!🤣🤣

監督の前作『ヘヴィドライブ』でも思ったけれど、カメラを置く位置・空間の切り取り方のセンスが好き。今作でも拘り抜いていて、手前に一方通行な閉塞的な空間、奥には 広がりを見せる「未知」の空間を配置するよう前後の対比を執拗なほどに反復している。そしてそのカメラ位置が本作の主題を直接的に炙り出している。見えているものと見えていないもの。そこにフィルターが生まれ、観客にその擬似体験をさせる。カメラを有り得ないくらいに引いたり、鏡像による混濁を連発するのも主観と客観が「事実」にもたらす影響の擬似体験でしょうね。

そして鏡は当然『キャンディマン』の主要アイテムであって、悪ふざけで5回言うのが過去作では主流だったけれど、本作は「言ってみて」と他者に促されて実践する。これは潜在的差別・悪性を炙り出したジョーダンピールらしい心のリトマス試験紙として機能させる意図があるのだろうと感じた。観客に対して「あんたは言えるだけの自信がある?」的な。過去作では毎回同じような見せ方で退屈なところを様々なアイデアのもと脳死シーンとしていないのも好印象。

それでもまあ殺されるのほとんど白人ではあるのだけど、人種で固定しない悪性をしっかり描いているし、黒人も殺されてたし、そもそも『ヘヴィドライブ』の時点でステレオタイプを剥奪させた監督だし。ジェントリフィケーションだったり色々言ってるけど、結局はシンボル化だよね。

前作の詩的ムードはほとんど無くなっていて、単純に比較は難しいけれど、私は本作がシリーズ最高傑作だと思った。バトンタッチする流れるようなカメラワークとか、色彩空間とか、恐怖演出のオチにシュールな笑いを毎回のようにぶち込んで来たりとか、キッカケがないと無視され続ける文化・アート界への批判、膨れ上がる内面に飲まれることを蜂を使って演出したりとか、応援したい監督…だけどマーベルで大出世してるからもう応援するも何もないですね🤣