ニューランド

ハッピー・オールド・イヤーのニューランドのレビュー・感想・評価

3.7
☑️『ハッピー·オールド·イヤー』及び『チャンシルさんには福が多いね』▶️▶️
タイと韓国の、仕事もバリバリこなし一通りの人生を歩んで来た30直前or40丁度の女性が、インテリア·デザイナーとしての足場を固め北欧から帰国orプロデューサーとして支え来たチームの要の監督の急死という節目に、見過ごしてきた生き方を見つめ直すという作品で、基本アンチ欧米映画の私は落ち着く。ただ、スタイルというと今は世界共通の高めの素養があって、個性は国情より作家本人に帰属していて、この2本もカメラの使い方·編集共に、世界標準の作家主体のハイ·センスなものになっている。只、主題の煮詰めは今ひとつで、特に明らかに凡庸な韓国映画の作家の方は、名前を大々的に謳っていたが、どういう根回しなのだろう(只、前にも書いたが、日本登場の頃のスピルバーグ·ノーランらを、当時は何がいいのか分からなかった、私の鑑賞眼だが)。しかし、(特にタイの前作カンニング『ハスラー2』みたいなのを引き継いだ)主演or(韓国映画の方のふせえりみたいな主演のあざといのにはすこし退くが)助演の女優さんの、アジア特有というのか、表情·考え方·追いこまれ方の柔軟さには、何か言ってる事がやや半端な作品を何倍も印象アップする、よりフリーでいきいきしたものがあり、成功は作家より俳優の力で来てる2作。
『バッド~』の続編かと思わすスマートな『ハッピー~』は、観てるうち、やはり思ってもみない、内に向かう誠実な作品のあり方に共感してく。ソフトな白め(衣類も)で焦点深度浅い接写め多く、手前や奥に出入りあり、横へ(フォローも)·前(後)への·時に上下もゆっくりスタイリッシュ移動やパン、浅め切返し·力みなく、音楽·歌曲もホンワカもしっくりの、鋭角を気取らず柔らか味。『ハスラー2』と思わせた『バッド~』に対し、今度は、共に初期のゆったりめ時のレネ+アルトマンか。そして、それを超えてはみ出す人間味·煮えきれない苦渋に好感を持ち、長身も(明らかにモデル出身か) もろアジア系の顔の女優さん(女高生からアラサーにいきなり移っても違和がない)の、前作を大きく拡げた表情の巾と落差、早いが今年の女優賞に押したくもなる。(年長大女優と対等に張り合わされた頃の)杉葉子+(初期)川原亜矢子+クールに見えてそうでもない·生身の自立した迷う力。
スウェーデン帰りのデザイナーがゴミゴミ自宅をオフィスにリフォームして、これからの国際的チームとの連携に合った、かの地で影響を受けた「ミニマル」の実践へ(「ゴミ袋は中身気にせず葬れるブラックホール」)。仏教にも通じ(実はタイ時代、恋人のへやの本にも刷り込まれ)、感情の重さに囚われず総てを兄·母の持ちものも大方捨てんてするも、「相手の気持ちも考えずば一方的に捨てられない」と親友に気づかされ、「返却」のまわり道にはまりこむ。「いい人」にいい気になり、謝りも真から。しかし、嘗ての恋人の受け取り拒否に本人を訪ね、彼の現パートナーとの仲をこわす本意でない方向も招き、新たな苦しみへも。字幕で挟まる捨てる為の「ゴールへ迷わず」「感情·思い出に囚われるな」「増やすな」等を迂回してたどり着く所。
「運命でないもの以外は捨てるのが、最善の道とは君が(云い)教えてくれた。前へ進む為に。1人で孤独に乗り越えるのに苦しんだ所へ来て、君は自分勝手に、自分が救われんとし、分けて罪悪感を押し付けに来た→違う、本当に悪いと謝りに」「思い出の貴重さが、甦る」「静かに暮らしたいのに、忘れられなくなる→堂々巡り、忘れないと、(出ていった)父の方は既にすっかり忘れてる。(ピアノは)捨てなくては」「狭い日本の部屋(を語る著者)と、(広い)タイでは違う」「いや、これ(リフォーム)が最大の買い物。リフォーム料がかさんでも、妥協はしない」「先へ進まないと。(彼も静かな口調でまた自己を戻してく筈だし、新空間も決まりをつけ)これで自由に何でも出来る」 。特定の TシャツやCD·(銀塩·デジタル)写真·ピアノら、小物の出し方·決定のつけ方が印象的。甘い記憶を含んだ物を、現実を通して見詰め、処分·適切に置き直す事の行程(旧恋人とは、一回こっきりの再会~すらしない~の予定が何回も行き来し、内をより顕わに凝視めてくことに)。
---------------------------------------------------
『チャンシル~』。ピンク映画が量産していた頃か、あまり観ていなかたったけれど、この種の誠実でたどたどしい映画づくりのホームグラウンドを愛おしく見つめ直す作品が定期的にあったと思う。それを、厭世感迄煮詰めたのが洪作品なら、よりプリミティブに見直したのが本作か。淡緑の窓硝子越しから·薄暗い室内、朝~夕~夜の光線の力·ニュアンス、横パンや(横縦)フォロー+α、いつしかスッとズーム(切返し)多、ススッと流れ浅い角度変と·くっきりどんでんと切返し·併存、表情の押さえや(俯瞰め)退き図の締め、スタッフ陣から出てくる感覚はしっかり高級も、作品成熟はやや幼なめ。シーンの組立·シーン中の、タイミングの捕り方等、甘い。あざとい人生指南のレスリー·チャンの霊か幻や、「お姉さん」と呼ばれるに移行の5才下の短編監督=仏語教師の出現身近男性、に限らず。「今は目の前の事に構い」「生きてても」と老人世代の感慨や、全ての発端事件の小津的スタイルでの冒頭(変哲のない日常に大切な全てが詰まってる小津を尊敬してる)·その中身違う回想·ラストの作内作品のイメージの、ややシュールも入る。
「一生、映画を作り続けられた筈が。PDとして認知なく、新しい仕事来ない。恋も結婚も置いて来て、いま何も。今、自分が何に向かうべきか、本当に見つめる事。友達だけの共に自然の変移を観れてく仲で、何で不充分? 飢えを全て充たす事など、ひとつ·一言ではムリ。嘗て、自分らしく(個性的で)あろうとし、そのひとつが映画だった。これから、(そこに戻り、今の空きを埋める家政婦の)仕事を減らし、忙しくなる」
ニューランド

ニューランド