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よろこびの渦巻のshxtpieのレビュー・感想・評価

よろこびの渦巻(1992年製作の映画)
3.0
「もだえ苦しむ活字中毒者」と同様に、こちらも Filmarks が登録してくれたので、 note から転記。

一方の「よろこびの渦巻」は、実にいきいきとしていて、楽しい作品だ。黒沢ファンは見たほうがいい一作、と断言できる。

これもまたディレカンっぽいというか、「神田川淫乱戦争」や「ドレミファ娘の血は騒ぐ」の空気感がそのまま出ている。

椎名誠の原作の突飛さ、シュールなユーモア(たぶん。読んだことないけど)をそのまま映像と演出に置き換えていて、とにかくいい。自由な発想で、なんとも言えない映像的なユーモアが展開されていく。そして、へんてこな小道具や音楽がそれを彩る。ヌーヴェルヴァーグへのあこがれとオマージュは、あからさまに散りばめられている。冴えわたる映像に、テンポのいい編集。痛快だ。とくに終盤、松田ケイジら、俳優たちの顔をひとりずつ、真正面からとらえたショットがよかった。

こうした初期の黒沢作品には、(テオ・アンゲロプロス風の映像文法をもちいながら)学生運動を小馬鹿にする、という特徴がなぜかある。前世代へのにくしみ、なのだろうか( 1955 年生まれの黒沢は「 CURE 」についてのインタビューで、じぶんは「全共闘世代」の下の世代だから、政治的に不安定で、中途半端で曖昧なのだ、と語っている)。黒沢の映画は個人主義的であるがゆえに、学生運動に象徴される集団性やセクト性にたいする否認がそこにはあるのではないか……。集団性やセクト性から生じる同質性、非自立性、ベタで一方向的で融通のきかない指向性。初期の黒沢映画は、こうしたものを憎み、それをあえてツイストさせたかたちで劇中に登場させることで、価値の転倒を目論んでいる(あるいは、その混乱やねじれをそのまま映し出している)ように感じる。

「よろこびの渦巻」が放映されたのは 1992 年。「地獄の警備員」と同年で、このあと2年間、黒沢はテレビの仕事を続けている(1994年の「ヤクザタクシー」で初めてVシネを撮ったあと、次の劇場公開映画は 1997 年の「 CURE 」だ)。自由な「よろこびの渦巻」を見ると、このとき黒沢はなにかをつかんだのではないだろうか、と思う。
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