【(女性の)自我と、多様性と】
カンヌで賛否両論が激しかったという事前情報があったので、あらすじではなく、デュクルノー監督(脚本も)のインタビューなんかをちらほら予習しながら出かけた。
ただ、よく考えると、「シェイプ・オブ・ウォーター」にも賛否両論はあったし、「ブレードランナー2049」みたいな映画はあるし、ウルヴァリンは骨をアダマンチウムにされてしまったし、昨晩(4月3日)からNHKで放送が始まった「スーパーマン&ロイス」でクラークとロイスの間には双子の息子がいるし、アレクシアを非人間としてしまうのは短絡的な定義かもしれないと思うけれども、人間と非人間の恋物語は過去にもいろいろあった。
ただ、上記は僕のレビューの助走で、実は、なるほどと腑に落た事前に読んだインタビューがあった。
ネタバレではないので、僕の記憶をたどって、概略を紹介するが、それもダメという人は読まないでください。
内容としては、女性は、「身体」を中心に、一方的に偏見で判断されることが多く、それに付き従わざるを得ないことは圧倒的に多い。しかし、そうした偏見を打ち破って、自我をつかむ(解放する)べきじゃないかというメッセージが込められているということだった(と記憶している)。
更に、監督自身にとって、愛するとはかくも大変なものなのだと。
よくアジアでは、女性が性欲を過度に露わにしたり、セックスを求める作品には抵抗が示されることが多いようなのだが、この映画にも、同様な文脈が当てはまるかもしれない。
ただ、そうしたものに加えて、やはりアレクシアを考えると、僕たちがまったりと知ったかぶりして、受け入れたふうに振舞っている多様性に一石も投じていることは確かのように思える。
その点で云うと、「シェイプ・オブ・ウォーター」にも近いのかもしれない。
クラーク・ケントとロイスの恋愛や結婚、子供が生まれることは良いのに、こっちはダメということはないだろう。
じゃあ、アレクシアがおとなしくて、偏見を体現するような、かわいらしく、男の性欲を満たすような存在だったら良いのだろうか。
それは、ずいぶん変な話のように思える。
まあ、いずれにしてもカンヌはちょっと頭ひとつ抜けてるなと思った。
心の中では「ドライブ・マイ・カー」じゃんなんて思っていたので、むむっと思っていたが、さすがだなと思った。
濱口さんの手法は賞狙いと揶揄している人の文章を読んだことがあるが、じゃあ、この「チタン」を観てどう思ったのだろうか。
まあ、興味はないけど、モンクばっかり言ってても埒が明かないとは思う。