よーだ育休準備中

TITANE/チタンのよーだ育休準備中のレビュー・感想・評価

TITANE/チタン(2021年製作の映画)
3.0
幼少期、交通事故に遭い頭蓋骨にチタンプレートを被せられた少女は、以降《車》に対して異常に執着する様になる。成人した彼女はモーターショーのショーガールとして生計を立てていたが、ある晩、熱心なファンから強引に迫られてしまう。


◆謎の美女Alexia(A.Rousselle)について

頭にチタンプレートが埋め込まれてから、彼女がおかしくなったのか。元々彼女はおかしかったのか。どうしても判断に迷ってしまいました。『頭を強くぶつけなければ大丈夫』と言われて退院した直後、《車に駆け寄り、抱きつき、キスをする》シーンがあった事は事実です。そして、事故が起きる直前《鋭い目つきでモーター音の真似をし、運転席を後部座席から蹴り付け、注意された途端にシートベルトを外す》危険かつ衝動的な行為に走っていた事も事実でした。幼い頃から、事故が起こる前から、刹那的に感情的な行動をしてしまうタイプだった様です。

成人してダンサーの職に就いた彼女は、フランス各地のモーターショーを点々としていた事が窺えます。その際、側頭部の痛々しい手術痕を隠さずに髪をたくし上げている姿が印象的でした。他者に対しても攻撃的な彼女ですが、自身に対しても攻撃的である描写が随所に見受けられます。かんざしで自ら堕胎を試みたり、自分の鼻の骨を折って顔貌を変えたり。膨らむ胸部と腹部にキツくサラシを巻いたり。《自傷行為》は《完璧主義》や《虐待》と相関関係があるそうです。冒頭の車内でのやりとりや、成人してからのダイニングでの一幕。自分の犯罪に関する証拠を燃やそうとした炎が延焼した際、(逡巡したものの)両親を寝室に閉じ込めて焼き殺したこと。父親は医者の様ですが、肉体的な虐待の痕は窺えずとも、家庭内に不和があったのかもしれません。

彼女のパーソナリティがどうにも掴み辛かったのですが、ラストシーンでありのままの自分を受け入れてくれた初老の男性に愛の告白をする瞬間が印象的でした。《肉体関係を迫る男性》や《性に開放的な同僚とその友人たち》を手にかけた彼女は、月並みですが《真実の愛》を探していたお姫様だったのかもしれません。結局、その初老の男性も《彼女》を愛していたわけでは無いことが判明(彼女の告白を拒否)した直後、出産を経て絶命してしまったのは、《望んでいた愛が手に入らなかった為》であると考えました。(器質的な死因というよりも、フィクション作品としての演出という観点から。)

前半で自分を不快にする他人を《手にかけた》彼女が、後半では他人に受け入れられる為に《鼻を折り》《身体をキツく縛り上げ》性別を超えた他人へ成りすまそうと試みます。攻撃のベクトルが他者から自身へと移り変わっていますが、《他者を排除》しようとする事から《他者へ迎合》する方向へとシフトチェンジした様でした。Julia Ducournau監督の他作品を観たことが無いのですが、《ありのままの自分と社会の軋轢》の様なものが一つテーマになっていた様に感じます。思春期(反抗期)から成熟していく過程における反応の変遷にも似ていると感じました。


◆狂気を孕むVincent(V.Lindon)について

指名手配犯となったAlexiaは、行方不明となっている少年のフリをして逃げ切ろうとします。必死に変装した彼女を『自分の息子に間違いない』と受け入れた父親Vincentも、Alexiaに比肩する歪な心を隠した男でした。消防署長として男性社会のリーダーを務めている彼は、《老い》に対して強烈な拒否反応を示しています。老体にステロイドホルモンを打ち、思う様に懸垂が出来ず悲痛の叫びを上げる。理想(過去)と現実のギャップを受け入れられない彼は、《自分の息子》という過去にも囚われていました。

物語が進行していくにつれて、彼の息子は《行方不明》ではなく《火事で亡くなっていた》事が示唆されます。自分に都合良く現実を捻じ曲げた(Alexiaを息子であるとして振る舞う)彼の姿を、周囲の人間は全て承知の上で痛々しく感じながらもそっと見守っていました。女性であることが露呈しても尚、自分の息子だという姿勢を貫いたかと思えば、彼女が産気づいた際にはAdrien(息子の名前)ではなくAlexiaと呼びかけます。出産という大業の末に絶命した彼女には目もくれず、《異形》の様な赤子を愛おしげに抱きしめました。

結局、彼は《息子》に拘っていたわけではなく、《愛を注ぐことが出来る誰か》が欲しかったのでしょうか。消防士という体力と筋力がものを言う世界から外されようとしている自分が、《誰かを愛すること》で自身の存在意義を確立しようとしていたように見えました。『自分は神で、息子はキリスト』とは全くの虚勢であり、この台詞にミスリードされそうになりました。

乱交パーティー現場での殺戮ショーと直後の火事が《ソドムとゴモラ》の比喩の様であるとか、《キリスト》と称されたAlexiaが《心停止した老女を蘇生させる》シーンにはカトリック的な趣きがあるとか、《宗教色》が強い作品かと一瞬思わされました。ですが、最後まで視聴した後には、二人の姿を通して《レゾンデートル(実存主義)》を説く《哲学的》な素因を含む作品だと認識しました。実存主義をテーマにした作品であれば、キリスト教が絡んでくるのもまた然り。


◆Alexiaの妊娠について

今作で一番頭を抱えたのがここでした。本作を観る前から事前情報として、とんでもないカーセックスのシーンがあると聞いていました。in the car. ではなく、with car.という超衝撃映像。『これどうなってるの?』とか下手な疑念を抱く暇もなく映像に圧倒されました。車との性交渉で妊娠するはずがないですが(自慰の延長?)、車を《運転してきた誰か》という線もなさそうです。(ラストで消防車とおよんでいる様な描写もありましたし。)

この点について印象的だったと感じたのは、冒頭のストーカー化してしまったファンに強引に迫られたシーン。車のサイドウィンドウから顔を《車内に》突っ込んできた男性に対して、キスで気を逸らしながらかんざしで耳を一突き。すると口から溢れる《白い液体(泡)》。直後に例の衝撃シーンがあるわけですが、、、。バイオレンスでありながらも、非常にセクシャルな描写でした。

ここで更に気になるポイント。with carのシーンの直後から、Alexiaの陰部に《オイル漏れ》の様な兆候が現れるわけですが、ダイニングのシーンでは《シリアルキラーのニュース》が報じられていました。『男性二名、女性一名の遺体に続き、新たに南フランス東部で四人目の遺体が発見された』と。この三名の遺体は、Alexiaの同僚と友人であるとすれば、その時点で彼女の腹部は膨らんでいたはずでした。見落としがあったかもしれませんが、この時点で時系列や事件の相関関係がごちゃっとしてしまいました。ただ、同僚の友人のうち、取り逃してしまった女性と揉み合っている際、Alexiaは頭を強く打っています。脳に被せられたチタンプレートが影響して、器質的な精神障害が現れてしまったと考えることもできそうな気も(無理矢理ですが)します。臨月にも関わらず、サラシで体型をキレイに隠せるとも思えないですし、陰部や乳房からのオイル漏れや、皮下金属の描写も不思議でした。

結局、彼女の妊娠は象徴的なものであったのではないかと思います。作中で描写されていない妊娠の契機があった可能性も捨て切れないですが、それよりも《刹那的・感情的・衝動的》に生きた彼女の行動によって作り上げられた彼女の《実存》がそこにあったのだと。《罪悪感や苦しみ》といったものを内包した姿が《望まぬ妊娠》として描写され、AlexiaとVincentの《実存的交わり》を経て、片や絶望のまま絶命(死に至る病)し、片や異形の赤子によって歪な存在意義を得るに至ったのだと。


*雑記*
…本当に難解すぎて頭が整理できません。
今作のパンフ、めっちゃ気になるなぁ。
W杯のGSもいよいよ第三節。映画は全く観れていませんが、溜まったレビューをのんびり消化しようと思います。