ルサチマ

吉野葛のルサチマのレビュー・感想・評価

吉野葛(2003年製作の映画)
4.6
2021年8月18日 @アテネフランセ

HDリマスター上映。
南北に分断された天皇制と、結局は武家の暴力によって粉砕された南朝側の歴史を、谷崎の『吉野葛』のテキストの朗読を通じて現代映画として具体化される。
澱みながらもテキストの持つ音楽的な文体が朗読者を演者としての発声へと変容させていくのに抵抗するように、朗読者はテキストとの距離をタバコを吸うなどの息継ぎを挟みながら、異化させていく。

谷崎がメタフィクションとして描いた『吉野葛』は少なからず朗読者を谷崎の視点に引き寄せる力を持ち合わせながらも、朗読をする女性は自らをテキストに差し出すのではなく、テキストの発声装置的に自らを位置づける。その意味で、この映画の女性は朗読というよりも音読をしていると言う方が適切かもしれない。
テキストに書かれた文字情報が、カメラの映す吉野の土地を具体的な物質へと還元させるのであり、その方法によって劇映画を成立させようという野心的であり確信犯的な試みに驚嘆した。


2020年5月13日

素晴らしい傑作だと思う。谷崎の『吉野葛』の舞台に降り立ち、書かれた言葉の情景をカメラの前で捉えるという行為に、「映画とは他者の夢を物質化すること」というストローブ=ユイレの言葉を思い出させる。

合田典彦による見事なカメラが捉えた吉野の川と山々が圧倒的な雄大さで空間を曝け出しつつ、外部からの撮影隊は次第に山の中へと足を踏み入れることで、吉野が隠蔽していた情景を解き明かしていく。
外側から降り立った立場から捉えた情景、そこから吉野の歴史へ接近し始めようとするクロースアップの情景、探検家さながらに前へ前へ山のカーブを突き進む空間の開拓。
劇映画のようなデクパージュで吉野のロケーションと戯れながら的確に土地との距離感を測る画面と音の連鎖に、この映画が吉野の土地の歴史性とともに文学と映画の歴史性さへも引き受けた覚悟で成立していることを感じる。

映画とは映像と音から成立する表現であるという前提のもと、妥協なく小説の細部を「物質化」することの試みは、朗読のナレーションにおいても同じように実践される。朗読の声は「物質化」された音として、吉野の雄大な画面と拮抗しながらフレームの密度を高めるのであり、朗読のナレーションが終わり、環境音がフレームの中に突如産声を上げた時にとてつもない緊張感と解放感を堪能することがあるとすれば、それは谷崎の原作が持つ歴史性をカメラとマイクが「物質化」し、それぞれが全く違うものとして独立しながらも、ともにフレームの中にイメージを結ぶものとして機能することの官能的快楽による。

堀禎一『天竜区』シリーズ、鈴木仁篤+ロサーナ・トレス『TERRA』とともに、再上映されるべき重要作品だ。
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