Jimmy

アントキノイノチのJimmyのレビュー・感想・評価

アントキノイノチ(2011年製作の映画)
5.0
新宿ピカデリーにて鑑賞。

心に傷を持った男女が、遺品廃棄業者の仕事をしながらも、過去のエピソードでなるほどというストーリー展開は映画的で見事。

本作では「遺品整理業」という「遺族の代わりに故人の遺品整理を代行する仕事」が描かれる。
「孤独死」などの理由で逝去した人が生活していた空間は生活感を残したまま存在する。
遺品整理業者は、そうした「生と死の境界線となる空間」に入り込み、遺品を整理するのが仕事である。

杏平(岡田将生)とゆき(榮倉奈々)は、それぞれ友人の命や妊娠した子供の命を失った自責の念から心に深い傷を抱えている。
そんな二人が遺品整理業者として共に働き、「生きている自分は何なのか」を考えながら生きていく。
二人は「あの時の命が繋がって出会えた」と語り合うが、ゆきが自らの命を落として助けた女の子へと命が繋がっていくあたりは、杏平には残酷だが子供の未来へ命が繋がる希望との二面性を持った展開である。
過去の命(=死)→現在の命→未来の命という命のバトンタッチによって「命とは」を深く考えさせられる作品となっている。

ゆきは「高い所は苦手」と言いながら杏平と観覧車に乗り、過去にレイプされて妊娠し流産したという辛過ぎる事実を杏平に告げる。
観覧車の中という閉所且つ高所という閉塞感たっぷりの空間で告白された杏平は観覧車の小窓を開けて叫ぶが、この場面を映画館という閉塞空間で観ている私も「この閉塞感を抜け出したい」という気持ちになり杏平の叫びによって解放されるという不思議な感覚を体験した。
この場面は瀬々監督によって観客も映像空間に引き込まれた瞬間であって、観客は監督の力技に屈服するしかない。

「人間、憶えるより忘れる方が難しいものよ」とは寅さんの言葉だが、3・11以降、人々は辛い記憶を共有しながら生きていくこととなった。

本作で「ちゃんと生きたい」というゆきのセリフは現代人の気持ちを代弁している。
こうした劇中人物の閉塞感と現代社会の閉塞感の重ね合わせにより、本作はイノチと向き合う機会を私達に与えているのだ。
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