今作の前半は、徹底的にオスカルに対し嫌悪感を抱く構成にされていると感じる。そのような嫌悪感の源は、オスカルの怪物的な行動と、彼の発する金切り声とブリキ太鼓の不協和音だろう。金切り声はもちろん、所構わず鳴る太鼓の耳障りな音もまた、オスカルに対する悪感情を増幅させる。
大人でありながらもひたすら子供っぽい振る舞いをし続け、結果として悲惨さを招くオスカルの根底にあるのは、徹底した反出生主義だろう。生まれるときの気味悪い映像は、その後オスカルが体験するグロテスクさを一種前取りしている。彼は自分で生まれてきたという意識がないからこそ、ほぼすべての事に日和見を決め込んでいられる。彼の「観客席にいたいんです」という言葉は彼の人生そのものでもある。母親の死や異性との関わりの中で彼自身が自分の生を生きだすのと、ダンツィヒが戦争に巻き込まれていく、歴史の当事者になって行くのが同時に進行するのは、誰もが歴史の傍観者では居られないという表現なのだろうか。人間は自分の意思で生まれてこないが、それでも生き続けなければならず、歴史にもまた、どのような形であれ無関係では居られない。そういったメッセージを、一見責任から自由な子供という形で表現した作品のように感じた。
極めて悪趣味な映画ではあるが、だからこそ観る価値があるだろう。