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太陽がいっぱいのdeenityのレビュー・感想・評価

太陽がいっぱい(1960年製作の映画)
3.5
名作。なかなか周りにこの作品が見当たらず見れずにいたことが功を奏し、劇場の大画面でアラン・ドロンを鑑賞することができました。
「アラン・ドロンのための映画」とか言われたりしてますが、確かに端整なルックスに引き締まった肉体が彼の美少年っぷりを引き立てていますが、個人的にはワイルドな感じの方が好みなので「アラン・ドロンだ、きゃーーー」みたいなテンションにはならなかったです。そもそも自分男なんですけどね笑

ストーリーは単純明快なスリラー。金もあり婚約者もいる男から全てを奪おうとして試行錯誤を繰り返す男の話。だからこの作品がここまで愛されるのはストーリー的な魅力よりはアラン・ドロンの魅力があるからこそなんだろうな、というのを改めて実感した。

ただ、ストーリー的に不思議に惹かれていったのは、主人公のアラン・ドロン演じるトムがどうしてここまで魅力あるキャラクターに映るかということ。そこに本作の話の運びの妙があると思いました。

序盤、どこか垢抜けない可愛らしい使いに見えていた青年。全てを持っているフィリップに憧れてモノマネをしたり服を真似たりしているのかと思っていましたが、それが船に乗船した辺りから自分でも言うように「僕は頭が良い」という不気味さを持ち始め、そして行動に移す。狡猾な男かと思えば、追い込まれ始めると一変してハラハラさせる攻防を見せ、完璧さとはほど遠い危うさが見え始める。そしてラストには全てがうまくいったと思い込んで可愛らしさを見せる。この流れ、同情されるというか見守りたくなるというか、つまりこの変化が彼自身の魅力以上にアラン・ドロンという男の魅力を引き立てていると思います。

ラストシーン。海辺の陽光に照れされながら「太陽がいっぱいだ」なんて呟く彼は愛おしく思えるわけですが、同時に哀れんでも見えるわけです。それはどういうわけかと言うと彼の知らない所でついに事の真相がバレてしまうからというのもあるのですが、それだけじゃなく彼の若さというか青さにそれがあると思うのです。
全てを盗んでやったと、望み通りになったと安堵の笑みを浮かべるトムですが、彼が唯一盗みきれてないものがあります。それが恋人のマルジェであります。絶望の淵に至った時に救いの手を差し伸べたトムとくっつくのは彼の狙い通りの展開かもしれませんが、物と違って心までは簡単に盗めないわけで、どれだけ仲を深めても別れ際に口にキスするほどの思いはまだ彼女には芽生えていなくて、それなのに全てを手に入れた気になっているのが彼の青臭さであり、若さでもあるのです。

だからラストシーンの「太陽がいっぱい」には哀れさが溢れていて、かわいそうに思えてしまうのだと思いました。そう思わせた脚本とアラン・ドロンの演技には拍手を送るべきだと改めて思いました。
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