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太陽がいっぱいのmRクボOTHEのネタバレレビュー・内容・結末

太陽がいっぱい(1960年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

アラン・ドロンの演技やカメラワーク、場の表現により、人間の心理を細部まで丁寧に描いている。
アラン・ドロン演じるトムがフィリップを殺害した直後、荒波に揉まれる船の表現や死体を被せた布が風で捲れ、死体が露わになるのを気にするトム、船の上必死に隠蔽工作をするトム。この場面は、人を殺した動揺と焦り、罪の意識が強烈に伝わってきて、自分としても精神衛生上よろしくないほどだった。
トムがあくまで金欲しさで、それと他人を出し抜きたいという思いから、フィリップの婚約者のマルジュに求愛する場面は、人間は他人に必要とされる自分や自分がしたいことを勧めてくれる者を好むという心理が上手く表現されている。
ラストは、完全犯罪成立でイタリアの海辺の開放感と「太陽がいっぱいだ」とのセリフとともに爽快に終わるのか、との流れからのあのオチはギミックとして、そんなことってある?という感じがあり、無理矢理感満載だが、そうでもしないといけないほどトムの犯罪は完璧だったということで、トムの頭のキレ具合と、それを素晴らしく表現したアラン・ドロンを褒めることにする。
アラン・ドロンはカッコいいし、表現力が神がかってる。決して大袈裟にならず、さりげないがトムの心理をシンプルに観る者に伝えている。
「太陽がいっぱいだ」とのセリフは、フランス語から正確に訳すると間違いで「太陽が眩しい以外は最高だ」が正確らしい。それと、太陽を権力や金、人間を縛るものの比喩的表現としてこの映画を観ると、トムがフィリップの悪戯により、日焼けで火傷を負う場面、刑事に尋問されるとき日差しを眩しがる場面がより楽しめる。