KnightsofOdessa

BEGINNING/ビギニングのKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

BEGINNING/ビギニング(2020年製作の映画)
4.5
[従順と自己犠牲についての物語] 90点

大傑作。簡易な講堂の中に徐々に人が集まり、彼らを前にスライドを使いながら説教を始めるダヴィド。10分近い長回しは画面手前に火炎瓶が投げ込まれることでかき乱され、人々は混乱しながら外へ出ようとするが、我々に見えるのは絨毯の上に広がる炎と叫び声ばかりである。そうして焼失した講堂は荒野のど真ん中に建っているものだが、彼らがエホバの証人であるがために、近隣住民からの評判も悪いらしく、地元の警察はこの何度目かの妨害行為に対して、なんら有益な解決手段を持ち合わせていない。講堂再建のためにダヴィドが家を去る前夜、彼の妻ヤナは彼にこう投げかける。"何かが始まる、或いは終わるのを待っているような感じがする"と。しかし、ダヴィドは全く話を聴かず、何年も前からヤナに押し付け続けてきた夢や理想を今一度語り、それには"妻"の存在が不可欠であることを繰り返し訴えて言いくるめようと躍起になる。自らの体裁と出世のためにヤナを再建活動に連れて行こうとするが、ヤナは息子ギオルギと共に自宅に残る決意をする。

映画はワンシーンワンカット、全てのシーンでフィックス長回しが採用されており、かつスタンダードサイズ(1:1.33)なので、一つのカットが非常に長く窮屈で、しかも非常に静かなのだ。孤立した宗教的マイノリティからすら孤立したヤナの存在は、静謐な画面の中で更に孤立させられ、更なる沈黙へと導かれていく。数回訪れるパンによって孤立から脱することもあるが、それによって得られる繋がりは信頼に足るものでも、彼女を根本的にも表面的にも救い出す類のものではない。象徴的なのは、やはり森の中で横になって死んだふりをする10分近い長回しだろう。鳥のさえずりや近くに居たギオルギの声が次第に遠のいていき、本当に死んでしまったかのような時間の中で、彼女の身体に降りかかる木漏れ日だけが移動し続けるという奇妙な時間は、ヤナのある種の生まれ変わりのようにも捉えられる。

以下ネタバレにつき、続きはコチラからどうぞ https://note.com/knightofodessa/n/ncfe4c105fed5
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