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運命の回り道/リンボーのKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

運命の回り道/リンボー(2020年製作の映画)
4.0
[自分自身を肯定すること] 80点

カンヌレーベル選出作品。スコットランドの架空の離島で亡命申請が許可されるのを待つ難民たちの姿をオフビートに描いたベン・シャーロックの長編二作目。彼らの暮らしは中々強烈で、平原の中にポツンと立つ一台の公衆電話を囲んでいる冒頭は強烈。皆が知り合いなので並ぶ必要もなく、ずっと一緒なのでそれぞれが近寄る必要もないので、ソーシャルディスタンスを完璧に守った布陣で別々の方向を向きながら電話の順番を待っているのだ。前半は"少し抜けた"感じのスタンスを保っている。少しだけいる地元の人々は彼らと絶妙な距離感を保っており、安い労働力として搾取したり、ステレオタイプ的な見方でシリア人の主人公オマールをなじった後で足として車に乗せてあげたり、有事の際は友人として助けに呼んだりと、閉鎖的な田舎にしては"友好的"に描かれている。ここでいう"友好的"は難民だから問答無用で排斥されたり奴隷のように働かされる状態以外を指しており、その静かな搾取的構造は都市部でも同様のことがいえることを考えると、本筋から邪魔にならない程度にそれを提示している点で優れていると言えるだろう。

中でも亡命申請が通った後のことを想定した英語訓練が強烈な印象を残す。講師を務めるのは恐らく元難民の男女で、"女性の微笑みはセックスへの誘いか?"や"used to"の使い方といった生活面での授業から仕事への電話応募の仕方など実務面まで網羅しているんだが、"used to"の使い方では"I used to be happy before I came here."と生徒から飛んできたり、電話応募の例が"掃除人"であることに一悶着起こったりするのだ。ここに前半同様の"少し抜けた"ドライな距離感と絶妙な間が融合することで、居心地の悪い空間が完成する。そして、それは国にも帰れずイギリス本土にも入れないこの島そのものの存在でもあり、距離感を保ちながらも亡命希望者たちの中に燃える炎のような感情が見え隠れしてくる。私は何をしにここへ来た?と。

映画は数多くいる亡命希望者のうち、主人公オマールを中心にアフガニスタン人のファラハド、ナイジェリア人のワセフ、ガーナ人のアベディの四人に着目する。ファラハドは役に立たなそうで地味に役に立つ物品を寄付センターから貰ってくる技に長けていて、本作品のボケ担当なんだが、本土に入ってやりたいことは"スーツを着てオフィスで働く"という"普通の仕事"なのが悲しい。ワセフとアベディはアフリカから出る船が沈没したときからの仲だが、イギリスに入っても掃除人くらいしか仕事が無いだろうことを受け入れられない。二人の挿話には、危機を前にした人間の脆さを思い知らされる。

そして、オマールにはトルコに避難した両親と、シリアに残った兄ナビルがいて、例の公衆電話で両親と連絡を取り合いながら、ナビルとの話し合いを避け続けている。彼はウード弾きだったため、故郷と唯一繋がるウードを肌見放さず持ち歩いているが、島へ来てからは一度も弾いていない。それは"ここへ来た選択は正しかったのか"という迷いと、"イギリスへ来たからには"というアイデンティティの喪失の二つの意味が掛けられており、彼はそれについて苦悩することになる。それと並行するように、雪が降り始めて景色から色が抜けていく描写が非常に上手い。そして、ひたすらドライだった距離感も、オマールが過去の自分と向き合うことで小さな暖かさが戻ってくるのも上手い。
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