瀬口航平

マイ・バッハ 不屈のピアニストの瀬口航平のネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

演奏シーンはすべて御本人の録音の演奏だそうで。。ピアノ聴くの大好きなので、演奏シーンいっぱいあって嬉しい。人間が弾いてるとは思えない超人的な速さの演奏や、ものすごく深いところから奏でられて、心の奥底をゾクゾクさせるようなしっとりとした演奏だったり、すべての演奏が素晴らしい。
最後のシーンは、あれはかなりおじいちゃんになった御本人の演奏の映像ですね。もうほとんど昔のような超人的な速さでは弾けないし、五本指でもちゃんと弾けてないけど、奏でられる音の凄まじさはちょっと驚きですね。。一音一音が神がかってます。。そして、あれだけ芸術に執着してきて、溢れんばかりのマグマのような情熱で自分の身も心も燃やして、時には周りの人間にもそれを飛び火させてたような人間が、晩年はあんなにも穏やかな笑みをたたえて子供のようにピアノを純粋に楽しんで弾いてるということにこれもまたびっくりした。誰よりも苦しんできたからこその悟りなのだろうか。。。この境地に最終的にいけるのであれば、それまでの苦しみも最後の彼にとってはギフトだったかもしれない。
涙もろくなった、という彼のこの映画での最後のセリフが良い。何が起きたかはっきりと説明しなくても、説明しないからこそ深く感動していることが伝わる。
最小限の言葉で、できる限り言葉じゃないもので伝えようとしているシーンの意図を感じて好きだった。

あと少しだけなんだけど、若干のユーモアがあるのもこの映画の魅力だと思う。物語の雰囲気とは少し違う毛色があって好き。
音無しの鍵盤を家で弾いてたときは、鍵盤を叩く音が近所迷惑でクレーム来てたけど、もう何を言われても構わないと決めてグランドピアノを弾き始めたら、窓を開けてくれないか、音が聴こえづらいというクレームが来たとことか面白くて普通に笑った。クレームを伝言しに来た人の二回目の登場の困惑気味な演技も良い笑

あと、二分しか話せなくなってしまったときに、尊厳のない人生だ、っていうセリフも少しユーモアあって好きだった。

途中、芸術への執着が原因で苦しんでいから、あーやっぱどれだけ良いものでも執着は苦しみしか生まないなあとか思ってたのですが、最後の本人の表情を見て、わからなくなりました。

彼の前半の人生は苦しみが大きかったかもしれませんが、涙もろくなった、という最後のシーン以降の彼の人生は多幸感に溢れた人生だったんじゃないか。それは、前半であれだけ大きな障害が立ちふさがっても諦めずに素晴らしい音楽を奏で続けたからこそ訪れた人生だったのかもしれない。後半の人生の多幸感に、前半の人生の苦しみが果たして必要だったかどうかはわからないけども、多分事故とか不運な怪我とかが彼の人生になければ、最後の、音楽に対して慈愛の溢れた表情をする彼にはなっていない。生涯ずっと世界中から褒め称えられ続けて、天狗になって死んでいた気がする。それだけの才能があったから。だから多分神様からのギフトだったんだよ。彼の不幸は。そのときは苦しかったかもしれないけど、人生全体から考えたら、あってよかったことなのかもしれない。何も不運なことなく生きていたら名誉ばかりを追いかけて、音楽をやることの本当の価値とか、純粋な音楽の楽しさとか、彼は忘れてしまっていたと思う。挫折や不幸は、彼の芸術の昇華に必要不可欠な要素だった。映画の冒頭は、オスカーワイルドの、芸術には痛みを伴う、という名言から始まるけど、素晴らしい芸術には痛みを伴うものなのかもしれない。自分から進んで苦しまなくてもいいとは思うけどね。歓びに向かう中で訪れる痛みであってほしいですが。
瀬口航平

瀬口航平