デニロ

シュシュシュの娘のデニロのレビュー・感想・評価

シュシュシュの娘(2021年製作の映画)
4.5
シュシュの娘、中国映画にそんなタイトルの作品があったなと思いながら、シュシュさんの娘の話かと。ネットで予約した返信メールに『シュシュシュの娘』とあった。シュ、がひとつ多い。え、何の話なの?

その謎は始まってから10数分後に分かるのだが。

いつの頃からか息の詰まるような世界に生きるようになってしまったとわたしは感じるのだが、入江悠脚本、監督は自らの作品『ビジランテ』で埋めた缶を掘り起こしてそんな世界を再構築する。外国人労働者、公文書改竄、同調圧力、自殺、いじめetc.

いまや働きたくない日本人が多くなり、深夜労働、単純作業に労働力が集まらないと聞く。そんな実情に合わせるかのように技能実習生制度やら特定技能制度やらを作り上げて外国人労働者として受け入れ、また、実態の希薄な留学生をもそこに当て嵌める。ところが、日本という国は明治の開国以降欧米の白色人種以外には実に不寛容で、米国トランプ前大統領の政策そのものが日本国民全体の合意になっているかのようになっているので整合性がつかないのだ。だから制度の法律を作るにしても役人が実に苦労していることがわかる。何が何だかさっぱりわからない制度で、問題が生じれば都度都度対処しなければならない。

数年前旅行で知り合った20代の男子が旅中のよもやま話で出入国在留管理局を退職するんだと言う。周りの旅行者が勿体ない云々と言っていたけれど、なんだかイヤなんですよ、塾講師になります。名古屋の出入国在留管理局で起こったスリランカの留学生死亡は、経済的裏付けのない留学生を受け入れてしまう制度に問題あるのは勿論だが、入管が人間扱いをしないという実態があまりにもおぞましい。のり弁のようにくきれいに黒く塗りつぶされた公文書にそれが端的に表れている。ああ、彼はそれを感じていたんだと今は思う。

というようなことが背骨にあるのだが本作は脱力系の可笑しさに満ち溢れている。世の中はデジタルで境界がくっきりとしているが、本作は境界をそれほどくっきり描いているわけでもない。普通の公務員が、普通の商人が成果に向けて仕事をし、ご近所に愛想を振りまきつつ暴力的な破壊侵害を行う。悪はきちんと見えてこないのだ。井浦新や宇野祥平が異界に向かう夜の闇のシーンのように境界はいつも曖昧なのかもしれない。

入江悠が引用した詩が本作の含意なのだと思う。

もし 君の呼び声に誰も答えなくても ひとりで進め
もし 誰もが口を閉ざすなら
もし 誰もが顔をそむけ 恐れるなら
それでも君はこころ開いて こころからの言葉を ひとり語れ
タゴール「ひとりで進め」より
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