河

死の光線の河のレビュー・感想・評価

死の光線(1925年製作の映画)
4.2
最初と最後、合計50分のフィルムが失われている。おそらく失われたほとんどが最初のものなんだろうと思う。映画の後半でおそらく最初に描かれていたストーリーの続きが入り込んできていて、その辺は何の話か全くわからない。最後はちょうど一番良いところで切れる。

舞台はある西側国家となっていて、労働者が蜂起するがファシズムによる工場主の支援の元、兵器によって制圧されている。その蜂起を指揮した主人公を含むレジスタンスが労働者側として存在する。ソ連のエンジニアによって”死の光線”という兵器が開発されていて、それが西側国家の労働者のための権力者への抵抗手段として与えられる。その兵器は名前の通りレーザー光線を放つもので、カメラのような形をしている。

その兵器がエンジニアの助手の恋人の裏切りによってファシストにばれ、そのスパイによって奪われる。そして、次は主人公がファシスト達の隠れ家に侵入するが見つかり、逃げる。この二つのアクションシークエンスが非常に良く、特にファシストの侵入シーンでの暗闇での銃撃戦のショットが凄まじい。

主人公がファシスト達から逃げるシークエンスは不必要なほど長尺で、ひたすらアクションが連続していく。丘でのアクションがあったと思うと橋から飛び降りるスタントや電車によるスタントが挟まれ、終盤は何が起こっているのかわからなくなる。

ファシスト達は別国に大量の兵器を輸出する契約を取り付けるが、労働者達は兵器の開発を拒絶し抵抗する。そして、ファシスト達は労働者にスパイを紛れ込ませ、そのスパイ達がレジスタンスのふりをして労働者の若者たちを蜂起させ、そこに爆撃するという計画を立てる。ファシスト達の想定通り、若者達は蜂起しその向かう先へと爆撃機が向かう。その爆撃機を止めるには死の光線が必要であり、爆撃機と若者達が近づいていくのを背景に、主人公がそれを奪還できるかがクライマックスとなる。

プロパガンダ的なプロットを言い訳にして好きなだけ実験しまくった映画のような印象で、同時に『ウェスト氏』にもあったアメリカのアクション、スラップスティックコメディ映画の憧れ、模倣のようなショットも存在している。それが特に表れているのが前半にある二つのアクションシークエンスで、アクションの中に相容れないような鮮烈だったり霊感が籠ったようなショットやモンタージュが急に現れたりする。クライマックスはエイゼンシュタインに繋がっていくようなモンタージュとなっている。

この監督特有の心情を炙り出すような黒背景でのクロースアップも引き続き存在している。特にこの映画では役者がカメラにぶつかるほど近づいていくことでピントから外れる、極度の怒りや不安を表すようなクロースアップが特徴的。これはエプスタインも『アッシャー家の末裔』で使っていた方法となっている。
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