雷電五郎

ヘイターの雷電五郎のレビュー・感想・評価

ヘイター(2020年製作の映画)
3.9
論文に文献の盗用を行い、大学を除籍処分されたトメク。退学をきっかけに臨時でありついた仕事はSNSの世論を誘導し、人を陥れるものだった。

というポーランドの作品です。

作中、良心の呵責をまったく感じていないあたりトメクはサイコパス的な人格を持つ人間だと判断はつきますが、無表情の下に憎悪と憤怒を溜め込み静かに悪意をみなぎらせていく彼の姿が非常に恐ろしかったです。

インターネットの進歩により加速度的に流行した各種のSNSは、偏った思考や思想を醸成し、人をたやすくヘイトへ駆り立てるには格好の空間ともいえます。
何故ならば、自分自身で見たい情報を好きに選択できる環境であるからです。
生身で他者と関わるよりもよほど膨大な人数の他者と関係性を構成できるというメリットとともに、好悪によって取得情報の選別がしやすく、それらの情報の善悪や真偽を問う相反する情報が入り込みにくいというデメリットも大きく、真実よりもデマが席巻しやすい空間ゆえに一度公平性を見失えば簡単に他人の意見を全否定する硬直を起こします。

トメクによるヘイトの情報操作は、過激な見出しによる嫌悪感情を煽り、デマか事実かのファクトチェックがなされる前に脊髄反射の感情で人が飛びついてしまう状況を作り、叩きやすい対象をでっち上げることで無条件に誰かを責めて自らの正義感を満たすナルシズムを助長するもの、とてつもなく恐ろしさを感じました。

しかし、作中でら田舎出身でどちらかと言えば低収入層のトメクに対し、悪意なくぶつけられるホワイトカラー層の人々による見下しとレッテル貼りや、反対意見(作中では過激な右派)に対する「クズ」というような切り捨ての言葉は、自分の中にある正義こそが唯一無二と信じて疑わない傲慢を端的に描写しており、口の中に苦い感覚が広がる思いでした。

対話が重要であることは必然ですが、何より人は自らの信じる正義が完璧であるなどと思ってはいけないのです。
その正義によって他者を責める時、自分は本当に彼らの言葉を見落としていないかを常に問わねばならない。人の思考や思想は一面ではなく多面です。ある一点では相容れずともある一点では同じ道を目指しているかもしれない。正義に対し、そういう疑問を持っていないと白か黒でしか物事を判断できなくなってしまう。
SNSは広大なようでいて実際にはとても狭い範囲に大勢がひしめいています。そこに火を投げ込むことはたやすく、火を消すことは非常な困難を伴うものです。

トメクにより陥れられた人々は彼の仕業で不幸がもたらされたと気づかないまま彼を好意的に迎えいれなければならないというおぞましいラストはいかにも生々しく現実的ですね。
ビルの窓にうつるトメクの姿はいつも亡霊のように曖昧でゾッとすることが度々ありました。無の顔の下に幾重にも積み上げられた憎悪と憤怒、そして、良心を捨て去った先にたどりついた「英雄」の称号。
すべてが虚しく醜いものでありながら、彼にとっては間違いなく成功のトロフィーで、それはトメクにとって承認欲求を最高潮に満たすものであったでしょう。

くれぐれもSNSを使う側であり使われる側になりたくないと自戒できる作品でもありました。
淡々としていましたがすっと背筋が寒くなるような怖さを感じられる良作でした。

しかし、まさかここで孫氏の兵法書が出てくると思わなくてびっくりしました。その解釈は違うと思うんですよ…(笑)
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