SatoshiFujiwara

シングル・ガールのSatoshiFujiwaraのレビュー・感想・評価

シングル・ガール(1995年製作の映画)
4.3
新文芸坐シネマテーク

もう少女ではないが、まだ成人と言うには何かが足りない。この「もう」と「まだ」に挟まれた時間を生きるヴァレリー(ヴィルジニー・ルドワイヤン)は、映画のほとんどの時間、ホテル内やパリの歩道をこれ以上はない、くらいの早足による歩行で常に駆け抜ける。大胆に露出してはいるが肉感的と言うにはいささかメリハリの欠けた、若干の幼さを感じさせるその脚が何のためにそこまで速く前に行こうとするのかは分からない、と言うよりもそこに言語化できるような明快な理由は多分ない。またその早歩きゆえかは知らないが、冒頭でヴァレリーの恋人であるレミ(まだ若いブノワ・マジメル)から「男を誘惑するために尻を振って歩いただろう!」などと言われてしまうのだけれど、ヴァレリーにそんなつもりが微塵もないのは明白で、ここに「狭間」にあるヴァレリーの無自覚性、精神と肉体の分裂が実にさり気なく的確に表出されている。カフェから飛び出て車に轢かれそうになったり、仕事の合間に目を盗んで母親に電話をしたり、あるいは扉を開けたらいきなりセックスしている男女に遭遇したり、はたまた勤務初日から同僚のおっさんにセクハラされたとしても(被写界深度の浅いカメラ奥から手前へのヴァレリーの登場!)あくまでそれらは「早歩き」のテンポを一瞬だけ乱すに過ぎない(この歩行は、数年進んだと思われる末尾のエピソードでは全く違ったものに変容しているのは当然だ。ここでヴァレリーは人の親となっている)。

ホテルのルームサービスとしての働きぶりを非常に即物的な小気味よいカッティングで長時間カメラに収め続けるそのやり方がまたいいが(キッチン内でのスタッフ同士のせわしないやり取りを捉えるため、急激なパンでカメラを左右に振りまくる効果の目覚ましさ)、繰り返し登場するこの廊下のシーンで背後からヴァレリーを追う移動撮影は観ているうちに何だかゴダールの『アルファヴィル』におけるホテルの廊下とイメージが二重写しになるという面白さで、ここが異界にすら見えてくるという不思議。また、主にヴァレリーとレミが対話するカフェでの両者のクローズアップ。特に微妙な不機嫌さを常に湛えるヴァレリーの表情がたまらないです。傑作。

※話の本筋には全く関係ないが、ヴァレリーがパリの歩道を歩くシーンで、背後遠くにボケたピントで小さくほんの一瞬だけ、しかし明確にフロイトの有名な写真と分かるポスターが柱か何かに貼られているのが見える。これ、ジャコとジャック・ラカンの関係に対するもって回った目配せ?
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