アキラナウェイ

ノマドランドのアキラナウェイのレビュー・感想・評価

ノマドランド(2020年製作の映画)
4.4
鑑賞してから1ヶ月が経とうと言うのに、僕はこの物語をどう消化していいかわからずに、まだ心の中でずっと反芻を繰り返している。

ハッピーなのかアンハッピーなのか。
解放されているのか行き詰まっているのか。
とどまっているのか進んでいるのか。
貧しいのか豊かなのか。

何もわからない。

リーマンショックに端を発する経済危機に襲われ、ネバダ州エンパイアのUSジプシム社で成り立つ企業城下町は、工場が閉鎖され、郵便番号を失い、住民は街を去った。夫を亡くしたファーン(フランシス・マクドーマンド)は、家財道具を売り払ってキャンピングカーを買い、車上生活を始める—— 。

彼らはnomad(遊牧民)。

土地に縛られず、
家に縛られず、
働き口を求めて
全米を転々と旅して周る。

Amazonで働くのが楽しそうとか。
キャンピングカーでの暮らしが気楽そうとか。
そう思うのは、僕がその暮らしをしていないからだろう。立派でなくても住む場所があって、どんなにしんどくても、一応は安定した会社に縛られて生きているからだろう。

どこまでも続く広大な地平線を
美しい夕陽が真っ赤に染めて、
その美しさに身を包む暮らしをただ羨むのは、何か違う気がする。

ファーンは望んでこの暮らしを始めた訳ではない。ゴーストタウンと化したあの街のあの家には、夫と暮らした思い出がまだ残っている。それでも彼女はこの暮らしを選んだ。妹が一緒に暮らそうと勧めても、旅暮らしで出会ったデヴィッドが一緒に居たいと言っても、放浪するこの暮らしを好んでしまう自分がいる。

やっぱり、わからない。
わかると言っちゃいけない。
その立場にいないのに、
簡単にわかった気になっちゃいけない。

だって、ベッドの横にトイレがあって、便意を催したらそこに腰掛けて、車内に臭いが籠らない様に換気扇を回して、排泄物は自分で処理する暮らしは、僕には出来ないから。

出来ないけど、
出来る出来ないじゃなくて、
それを余儀なくされるとしたら…?

静かに、穏やかに過ぎていく物語を眺めながら、何故か心が掻きむしられる様な衝動に駆られた。

指輪は、輪っか。
終わりがない。

かつてファーンが夫と住んでいた家の裏側は、どこまでも、続く砂漠、山脈が遥か先まで見える。

nomadの暮らしの良い所は、
最後の「さよなら」がないんだ。
See you down the road.
またいつか、何処かで。
またいつか、何処かで、会える。

いつまでも、どこまでも、
終わりがない。

ファーンが過去と決別し、終わりのない旅を続けようと一歩を踏み出した時、きっと彼女は答えを見出したのだろうけど、僕はそれが良いのか悪いのか、何もわからないまま、この作品は幕を下ろしてしまった。

登場する殆どの人は実際のnomadの人達。
そこに溶け込んでしまえるフランシス・マクドーマンドの演技は間違いなく一級品だし、ドキュメンタリーに近い質感で、その空気感を美しく詩的に切り取ったクロエ・ジャオ監督の手腕には目を見張るものが、確かにある。

でも、これは間違いなく貧困を描いた作品だから。

僕は手放しで喜べないでいる。
アカデミー賞を獲ったとしても、
喜べないんじゃないかとすら思える。

喜んでいいんだろうか?
社会に見放され、貧困の果てに彷徨う人達の暮らしを。でも、それを彼らは喜びと共に享受している様にも見える。

だからわからない。
わからないからこそ、それだけの問題提起をしてくれたこの作品を、心のどこかでは賛辞しているのも確かなんだ。