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ノマドランドのumisodachiのレビュー・感想・評価

ノマドランド(2020年製作の映画)
4.7
I

現在滞在しているヨーロッパの某国では、ようやく先週から映画館がオープンした!というわけで、早速『ノマドランド』を観てきた。この国は英語圏ではないものの、子供向け以外の映画は基本的に字幕で上映されるということなので、英語の映画はこれからも映画館で観られそう。良かった良かった。

ネバダ州の企業町で夫と生活していたファーン。しかし、夫を亡くしリーマンショックにより企業は倒産。町ごと廃墟と化して住む家を失ってしまう。彼女は車に荷物を詰め込み、現代の遊牧民(ノマド)として生きていくことにする。アマゾンの倉庫で働いたりゴルフ場で働いたりと、季節によって場所と仕事を替えながら、ファーンは他のノマドたちと交流を重ねていく。余命いくばくもない中でノマドを選択した老女、ノマドたちを集めた場を作る老人、子どもたちと離れてノマドとして暮らす男性、しばしばファーンと共に働く気が合うノマドの女性……それぞれに事情と思いを抱えながら、彼らは生きている。そして季節はまた巡り……。

アメリカの雄大な大地をスクリーンいっぱいにおさめた映像美、実際にノマド生活を送る人々を主に起用したというリアルな人間描写、自ら一定期間ノマド生活を送ったというフランシス・マクドーマンドの「演技」を超えて「生活者」にまで達している芝居。そして、要所要所で出現する力強い会話。「1秒たりとも見逃せない」と思わせる本物感こそが、本作が持つ異様な吸引力の源なのかもしれない。

豪華なキャンピングカーをおしゃれに改造して、小金が溜まったら悠々自適に全国を回りたい……そんな風に考えている人は少なくないと思う。たまにテレビで紹介されるキャンパーたちは楽し気で、工夫した生活は羨望を集めている。しかし、『ノマドランド』に出てくる人々はそういったキャンパーではない。

アマゾンの巨大倉庫の労働力として搾取され、そこから決して這い上がれない格差。ノマドたちに白人しかいないことが示す根深い人種差別(黒人ならば殺されるリスクが高いのだろう)。企業が倒産することで町がひとつなくなってしまうという異常な現実。「ノマドを選ばざるを得ない」と「自らノマドを選ぶ」との間に存在するようで存在しない境界線が、ファーンと関わる人々を通じで段々と浮かび上がってくる。

ノマドたちは強い意志と誇りをもって生きている。また、ファーンが関わる「定住を選んだ人々」も安易にノマドを軽蔑したりはせず、互いに敬意を抱いているのがわかる。本作は、ノマドを称賛するわけでも、否定するわけでもないのだ。アメリカに確かにある現実と、そう生きる人々に寄り添い、静かに見つめているだけ。だからこそ観るものの価値観にダイレクトに響き、言葉にならない衝撃が生まれるのだろう。

ファーンのバンが進む光景はあまりに広大で、まるで地球に自分だけひとりぼっちのような錯覚さえ覚える。ところどころで仲間と合流したり他人と触れ合ったりはするものの、基本的に孤独と喪失を抱えながら生きているファーン。深淵なる孤独と引き換えに手にしているのは、ふきっさらしの自由だ。どこに行くのも、なにをするのも、なにを言うのも自由。答えてくれる人がいるかはわからないし、死んでも誰も気づいてくれないかもしれないけれど。生活に必要な金以上の金銭に縛られることもない。失うものはなにもなく、向かい合うのは大自然と自分自身のみ。

唯一こだわっていた夫の皿も割れ、彼女はどんどん解放されていく。大地を覆う土の一部になったように、大地の上を吹く風になったように、出会いと別れを繰り返しながら日々を乗り越えていくという生き様。彼らのようにしか生きられない人々がいる。そして、彼らにしかわからない境地がある。深い孤独と喪失を抱えながら、いつまで続くかわからない先の人生を思いながら、ただ「生きる」ということ。遥かなる大地の前における人間なんてちっぽけで、人間が作り出した社会だって世界のすべてなどではないのだと思い知らされる。

経済的困窮により「ハウスレス」になった人々に同情するでもなく、賛美するでもなく、彼らの到達した境地に寄り添っている本作。明確に危険を感じる描写や強烈に貧困を感じさせる描写を排している点も、きっと意図的なのだろう(そういった批判がくるのは織り込み済というか)。『ピアノレッスン』のような印象的なピアノの旋律も印象的。絶対に映画館で観るべき1本。
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