雷電五郎

ザ・ヴィジル~夜伽~の雷電五郎のレビュー・感想・評価

ザ・ヴィジル~夜伽~(2019年製作の映画)
3.0
正統派ユダヤ教徒だったヤコブはとある出来事により信仰を捨てて生きていた。
過去の記憶に苦しみ続けるヤコブの元へ、正統派ユダヤ教の知人から葬儀の儀礼である「夜伽」を依頼され報酬目当てに引き受けるが…といったあらすじです。

正統派ユダヤ教はユダヤ教の中でも敬虔な宗派なようで戒律も厳しいようで、作中ヤコブがグループワークからの帰宅間際にスマフォを最近買ったという発言があるのは、通話以外の機能がない携帯電話を使ってはいけないからだそうです。現代では相当厳しい条件ですね。

第二次世界大戦のホロコーストから連綿と続いた「悪魔(マジキム)」の呪いは、単純に悪魔という存在に取り憑かれたというより、戦争の最中で強要され仲間や家族を手にかけざるを得なかった拭いきれない悔恨の念を感じさせる設定でした。
このあたりの話は「サウルの息子」などでも描かれましたが、一生背負い続けるには重すぎる記憶だと思っています。

そういった背景も加わって、単に悪いものから逃れるという従来のホラーとは違い、立ち向かうという結論に向かったのは非常によかったです。
また、ヤコブが元々正統派のユダヤ教であり、同コミュニティだった仲間からしきりに戻ることを促されるあたり、優秀なラビ候補(ユダヤ教の司祭)だったのではないかと想像でき、マジキムに立ち向かう際に革紐と聖句箱をまとうシーンではかなりテンションがあがりました。
何に使う道具なのかは分からないのですが…

マジキムが自分と同じ顔をしているという点で、自らの過去の罪と向き合い克服することが信仰であり宗教の在り方だというテーマ性もあり、ホラー映画ではあるのですが怖さを助長するだけでなく、自分の罪と向き合い乗り越えるという救いが提示されているのは清々しくて好きでした。

ラスト、ヤコブに着いて行こうとするマジキムの影は後悔と苦痛の記憶がいつまでも人につきまとい続け、簡単に忘れさることはできないという印象を抱きましたが、苦しむ己を救うために信仰があるのならば祈りは自身と向き合うための願いなのかもしれません。

ホラーとしては物足りませんが題材が非常に興味深かったです。
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