アイダよ、何処へ?の作品情報・感想・評価 - 36ページ目

「アイダよ、何処へ?」に投稿された感想・評価

asa

asaの感想・評価

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このレビューはネタバレを含みます

まだ見ていない
これも実話




今起きているアフガニスタンを守るべきアメリカの撤退と共通している
過去、歴史は繰り返す






8/17ラジオ町山さん紹介
ボスニア 民族の混戦
同じ民族だが、宗教言語が違うために分裂した悲劇

国連基地に25000人が難民として押し寄せる
どう逃げ延びることができるか?

民族浄化の悪思想


アイダよ何処へ
仲間が殺されるのに逃げるのか?
残酷で厳しい話

生き残るために裏切る
Oda

Odaの感想・評価

3.8
歴史的予備知識はなしで(でも気になって途中ウィキ見ながら)見ました。

スレブレニツァの虐殺最中が舞台ということで結構構えて観ましたが、この作品のメインはアイダとその家族。
家族だけを助けようとするアイダに理不尽を感じながら、(アイダに助けを求める友人のシーンがいくつかあったが、彼女は全く取り合わない)
あの状況で自分を、大切な人を守るには何ができるのか?(国連は助けてくれない)を考えさせられるストーリーでした。

他の人のレビューにもあるように、フォーカスがアイダなので映画を見るだけなら予備知識は不要。でもそれがないと、登場人物の、アイダの気持ちはわからないのかもしれない。

歴史的背景や国連の状況説明が不足だった(というか見る人に頼る感じ)ので、アイダのストーリーで終わってしまったのは少し残念です。
ただ観やすい映画ではあると思うので、ここから入るのもありかもしれない。
2021年アカデミー賞 国際長編映画賞ノミネート作

ボスニア紛争中、国連で通訳をしていたアイダが、強引に家族を施設に匿おうとするが離れ離れになる話。

良か駄の二択なら間違いなく、良の作品。
佳作と言うには何かが足りない。
個人に焦点をもっと絞れば、家族ドラマに、民族対立に絞れば人種ドラマとして問題のテーマが浮き立つと思うのだがどっちつかずで、余計な描写が多いのが残念。
合作に参加した国の数と、エキストラの数には驚いた。
モカ

モカの感想・評価

4.0
ちょうど26年前の今日、1995年7月13日に起こった、ヨーロッパ現代史における最大のジェノサイド、スレブレニツァの虐殺を元にした作品。

ボシュニャク人(イスラム教)の多く住むボスニア・ヘルツェゴビナのスレブレニツァにセルビア人共和国軍(東方正教会)が侵攻。
当時スレブレニツァはオランダからの国連PKOが保護していたが、圧倒的な軍事力を持つセルビア軍を前に抵抗することなく撤退してしまったため、最終的に8000人余りの住民を殺害されることとなった。

鑑賞自体にはそこまで歴史の知識は必要なくほぼアイダの言動を中心に描かれるので、バルカン半島の歴史にめっきり弱い自分でも抵抗なく見ることができた。

主人公のアイダは国連に雇われた英語通訳者。そのスキルによって国連から一応は守られる立場にあるが、それ以外の住民は『民族浄化』対象となってしまう。

家族を救うべく奔走するアイダに対し、まさにお役所仕事とも言える国連の対応。
そのあとのボスニア紛争の行方を考えると納得できてしまうところも、非常に情けなく頼りない。

虐殺は自分だけの責任ではないと最後まで主張し、終身刑が確定したセルビア軍司令官ラトコ・ムラディッチも登場人物として描かれていているのだが、
勿論この張本人こそが加害責任を最大に負うべきとは言えど、国連のこれらの対応を見てしまうと
果たしてそれで済むものなのかと考えさせられてしまう。

その他、本作品は細かい演出にも注目するところが多く、
時を刻む壁時計、十字架のネックレス、ハーフパンツのような軽装など、象徴的に使われていてとても目を引いた。

同監督の『サラエボの花』をずっと見ようと思って見逃していたら、すでに見れなくなっているのでとても後悔している。
uts312

uts312の感想・評価

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2021/5/9
なかなか力強い作品
辛い
90年代にあった話やけど、今でもどこかで同じようなことが起きているんやろな
国連の存在ってどこまで力持ってるのやら
WHOもそうやけど、影響力ってそこまででかくないのかな
Aidaの行動やけど、最初身勝手な行動やな、と思ってたけど、よく考えたら、こんな状況下で他人のことなんてあんま考えられんよな、そんな綺麗事で生きていけない状況、これこそが現実なんやろな
ラスト子供たちの表情が希望を物語ってる
歴史は繰り返されるのか、それとも起こさないために歴史を教えていくのか
民族、肌、人種が違うからなんやねん
どど丼

どど丼の感想・評価

4.1
第93回アカデミー賞強化週間(14本目)国際長編映画賞ノミネート作品。GW初日の朝から観るものではなかった……。

事前にボスニア紛争(特にスレブレニツァの大虐殺)の前知識があった方が分かりやすい。内紛地域における国連軍の無能っぷりと、それが引き起こす非武装市民の虐殺という悲しい結末。国連軍とボシュニャク人の通訳である主人公アイダが、一般市民を差し置いて自分の家族を優先して守ろうと奔走するのだけど、これが非常に難しい。傍目から見れば酷くも取れるし、当事者の立場からしたら当然の行動にも映るし。

フィクションではありながら、何とも難しく、考える余地の多い作品。
CHEBUNBUN

CHEBUNBUNの感想・評価

3.0
【我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか】
第93回アカデミー賞国際長編映画賞に『ノー・マンズ・ランド』以来19年ぶりにボスニア・ヘルツェゴヴィナ映画がノミネートされた。ボスニア・ヘルツェゴヴィナといえば、「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字を持つ、1つの国家」の複雑さから激しい民族対立を引き起こしユーゴスラヴィアから独立した国である。独立時には、クロアチアと激しく対立し、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が勃発。その爪痕は世界遺産であるスタリ・モスト(モスタル旧市街の古い橋の地区)を始め、ボスニア・ヘルツェゴビナ随所に今も残されている。

さて、そんな国から紛争時の混沌を描いた骨太映画が誕生し、アカデミー賞を賑わせている。タイトルは、新約聖書から来ている。キリスト教を布教するペトロがネロ帝から迫害され、逃げようとする中で一度磔となって死んだはずのイエス・キリストが現れた時に彼が語った言葉「Quo vadis, Domine(主よ、どこに行かれるのですか)?」である。これに対して、イエス・キリストは「君が逃げるのなら、私はもう一度磔になるべくローマへ向かう」と語る。これが本作の軸となっているのだ。

とはいっても決して小難しい作品ではなく、画による魅力でもってボスニア・ヘルツェゴビナ問題に対する関心を促す入門書に仕上がっていました。

スルプスカ共和国軍がスレブレニツァに侵攻する。市長(Raymond Thiry)は助けを求めて国連が運営する仮設キャンプにやってきて、Karremans大佐(ヨハン・ヘルデンベルグ)と話をするのだが、大佐はどうも頼りない。人々の危機に対して、大した力になってくれない状況に市長は苛立ちを隠せない。そうこうしているうちに、スレブレニツァは戦場となり数千人の人々が国連キャンプを目指してやってくる。だが、キャンプ場のキャパは足りない。国連軍は、機械的に門を閉鎖して、見渡す限り人、人、人の群がキャンプ周辺を覆い尽くしてしまう。

一方で、内部で通訳をするAida(Jasna Djuricic)は家族がキャンプの外に取り残されていることを知る。なんとか中に入れようとするのだが、同僚に止められる。群衆の目の前で一人だけ入れたら現場が混乱するからだ。既にキャンプ内がメガ密となっており、これ以上人を入れることができないのだ。

Aidaは国連の最前線として働きながらも所詮は人間である。極限状態になった際に人助けの優先度は自分>家族>他人となる。交渉力を駆使してなんとか中に入れようとするあたりに人間味が出てくる。同様にKarremans大佐も大佐でありながら、ハリウッド映画のような勇敢さはなく、中間管理職としての板挟みに苦しめられるのだ。

そこへ、将軍Ratko Mladic(ボリス・イサコヴィッチ)がやってくる。入り口の国連軍はあまりの暴力的な彼に屁っ放り腰となる。「おい、入れろ!」「ムスリム兵はおるか?」と圧をかけまくって中に侵入されてしまう。中間管理職、自分の意思で動けなくなったKarremans大佐はRatko Mladicに煽られまくって、段々と安全圏がなくなっていくのだ。

本作は『ノー・マンズ・ランド』同様、国際紛争を助けてくれる国連軍であっても複雑怪奇に絡まった政治によって二進も三進もいかなくなり、無能と化す様子を批判している。そして、個人による勝手な行動が一番影響力を持っている様子を皮肉っている。

結局、国際平和を掲げている者は「何者」でもなく、エゴで動くことによって「何者」かになれる。「何者」になった時ほど人間は強くなれるのだ。

だからこそ、Aidaがどこへいくのか?そこに力強いものを感じました。
[どこへ行くアイダ?ローマはどうなった?] 60点

歴史に残る大きな事件の当事者として最前線を俯瞰的に眺める立場にある女性が家族の安全を知るために渦中へ乗り込んでいく。本作品は同じくヴェネツィア映画祭のコンペに選出されたアンドレイ・コンチャロフスキー『親愛なる同志たちへ』と少なからず共通する部分がある。本作品は1995年7月11日、ボスニア・ヘルツェゴビナのスレブレニツァで起こったスルプスカ共和国軍によるボシュニャク人の虐殺を描いている。主人公アイダは駐留していたオランダ軍の国際連合平和維持活動隊(国連軍)との通訳を務めており、映画自体も何の根拠もなく安全だと説く(しかない)国連軍のカールマンス大佐と街に侵攻してきたスルプスカ共和国軍に動揺するスレブレニツァ市長の間を通訳で結ぶシーンから始まる。国連軍は侵攻すれば休戦協定違反で首都が爆撃されるから大丈夫の一点張りだが、ラトコ・ムラディッチは国連軍が動けないことを見破っていた。斯くして侵攻は始まり、住民たちは殺され、殺されなかった住民たちは国連軍の守る"安全地帯"であるポトチャリの施設に逃げ込む。しかし、物資もなにもない施設で国連軍は混乱して中途半端な数の住民だけ受け入れてゲートを閉ざし、ウッドストックくらい集まった人々は荒野に放置される。

本作品は夫と息子の一人を締め出されたアイダの物語を中心に、ナメられまくって孤立無援の戦いを強いられるカールマンス大佐、そして侵攻してきたラトコ・ムラディッチの三つの立場から事件を描いている。閉め出された夫を中に入れるには、ムラディッチとの交渉の席に立つボランティアにねじ込むしかないが、それは荒野に放置するのと同等かそれ以上に危険が伴う行為である。カールマンス大佐は予定通り空爆を打診するが、本部の将校は全員電話がつながらず、ムラディッチとの交渉では"事を荒立てるな"という言葉だけ預かって何も出来ない。ムラディッチはカールマンス大佐を人質に非武装地帯に兵士を送り込むわ、"助けてあげる"と言って住民を連れ出して住民を殺しまくるわ(ナチスのユダヤ人移送とそっくり)とやりたい放題。避難所に食料やトイレなどがないことを逆手に取って、言葉巧みに誘い出す姿は悪魔の所業にも見えてくる。そして、それらの合間に語られるのは、逃げてきた住民たちや国連軍兵士たちの、非日常でも続く日常生活の延長である。

"Quo Vadis"とは、"どこへ行く?"という意味の聖書の引用句であり、キリスト教徒の迫害が起こった際にローマから逃げようとしたペトロに対して、イエスが投げかけた言葉である。この後には"殺されているキリスト教徒を君が放り出すなら、私がもう一度十字架に掛けられて来よう"と続く。これはアイダとペトロの立場が重ねられている。通訳のアイダだけは職員待遇で国連軍として施設に残ることができるが、生き延びさせようとした家族は残れない。国連軍通訳という特権的な力を最大限使って家族を生き延びさせようとするが、死地へ送られる同胞たちを見放してまで行うその行為は正しいのだろうか?為す術もなくムラディッチに住民を受け渡すカールマンス大佐の言葉を通訳して住民たちを死地に送るのは虐殺に加担したのと同罪なのか?という問いを投げかけている。

★以下、ネタバレを含む

ペトロはそのままローマへと戻って磔刑に処された。しかし、国連軍所属のアイダは"ローマ"に戻ることすら許されなかった。時間は戦争が終わった後へとシフトし、アイダは地元に残って教師を続けていることが提示される。彼女の目に映るのは、国家の未来を担う子供たちなのだ。それは正しくラヴ・ディアスが『停止』で訴えた通り、教育を施すことで文化から覆していくことに他ならない。
一人でも多くの人に観てほしい映画です。ほんの数十年前、日本ではみんながマハラジャのお立ち台で踊ったりしていた頃、「民族浄化」の名の下にこんな事が?しかも国連指定の安全地帯で?国連が全く信用ならない!
コロナ禍でアジア人差別がひどくなっている昨今、SNSで煽動されたりしたらボツニア・ヘルツェコビナ紛争のような事がいつ何処で起こるかわからないので、他人事ではないと思います。
女性の映画監督さんの演出力と主演の女優さんのリアルな緊迫感で引き込まれてしまいます。
リーズ国際映画祭にて。

いきなり本題に入るので、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争やスレブレニツァ・ジェノサイドについて多少頭に入れておいたほうがいいかもしれない。

ジェノサイドは実際にあったことだけど、鑑賞後に検索したらどうもあの主役の国連通訳者は架空のキャラクターのようだ。

国連が守ってくれるはずのエリアに逃げ込んできた大量の市民たち。その人数の多さを見せるシーンもあったが相当の人数。国連側も人手は間に合わず、対策もきっちり固まらずの様子。

そんな状況で現地の国連の保護キャンプ内で通訳の仕事をしている主人公は、キャンプ外の群衆の中にいる家族が心配で仕方ない。

そりゃ仕事どころじゃないだろうと思う。彼女の取った行動も良し悪しは別として心情的に理解できる。でも国連のキャンプをまとめているリーダーの言うことも十分わかる。
家族が心配、助かりたいというのは他の市民も同じ。彼女だけ特別扱いするわけにもいかない。

こうなったらどんな手を使っても助けようとするわな。

実際に起きたことだから後半の展開はわかっている。それにもかかわらず、見ている方は緊張感と恐怖が同時に襲ってくる。

余計なことを省き、シンプルに通訳者の目を通して事件の恐怖と絶望を描いていた。
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