chiakihayashi

ミス・マルクスのchiakihayashiのレビュー・感想・評価

ミス・マルクス(2020年製作の映画)
4.7
@試写
 あのカール・マルクスは、17歳で出会った妻イェニーとのあいだに6人の子をなしたが、3人の息子たちはいずれも早世。本作のヒロインは末娘のエリノア・マルクス(1855ー1898)だ。姉に代わって父の秘書役となったのが16歳。マルクスの元には活動家から多くの手紙が寄せられたが、父に代わってエリノアが返事を書くこともあったという。

 映画は1883年の父マルクスの埋葬にあたってエリノア(ロモーラ・ガライ)がその思い出を語るシーンから始まる。エリノアはエンゲルスと共に父の遺稿の管理にあたり、『資本論』の英語版の刊行を手がけたほか、フローベールの『ボヴァリー夫人』やイプセンの戯曲を翻訳、また『人形の家』のヒロインのノラを自ら演じたこともあった。当然ながら社会主義の活動家でもあり、ガス労働者を中心にした労働組合の設立や港湾労働者による大ストライキを支援し、1889年に設立された第2インターナショナルの各大会では通訳や議長をこなしている。

 だが、私生活は自死という最後が象徴しているように、矛盾と苦難に満ちたものだった。エリノアは社会主義者で劇作家としても知られたエドワード・エイヴリングと恋に落ち、彼が既婚者と知った上で「結婚は時代遅れの制度」「私は実質上の妻として生きる」と公言して同棲する。病弱な長姉の看病に続いて、その遺児の世話など、彼女は公的な活動に加えて私的に担ってきたケア労働に倦み疲れてもいて、「私は自分自身のために生きたい」と訴えるシーンがある。しかし、知的な関心も主義主張も共有できるパートナーであったはずのエドワードは、実は浪費家でエリノアの財産を使い果たして、マルクス家の親族や友人からも借金をするだけでなく、プレイボーイでエリノアへの不貞を続けたのである。

 世界の変革を目指す社会的、政治的な志。その一方で個々人の実存的な悩みに深く触れ得る芸術的な感性。その両面において申し分のない相手だとエリノアが惹かれた男は、ひとりの女性として望んだ愛の生活において彼女を裏切り、失望させ、遂にエリノアは引き裂かれて力尽きた。愛の生活と政治的活動と芸術的な自己表現は、エリノアにおいては当然統合されるべきものであったが、エドワードは女性の愛情がもたらす献身を弄んでほとんど躊躇いも反省もなかった。

 これはエリノアに咎があったわけではないだろう。むしろエリノアのように愛する能力が男にはなかったということではないか。この乖離はジェンダーに帰せられるものなのだろうか、はたして・・・・・・?

 エリノアが最後、なにもかもを振り払うかのように独り踊り狂うシーンがあるのだけれど、そこで流れるのはパンクロックだ(そのダウンタウン・ボーイズというバンドは「産獄複合体(PIC)、人種差別、クィアフォビア、ファシズム、退屈、そして見て見ぬふりをすべきだと諭される全てのものを打ち砕く」と掲げているそうな)。エリノアの苦悩が現代を生きる女性たちに届く回路が開かれるようなシーンだ。
 その他リストやショパンを現代的にアレンジしたガット・チリエージャ・コントロ・イル・グランデ・フレッドの音楽も、時代を鋭く切り裂くように美しい。

 スザンナ・ニッキャレッリ監督(1975年生まれ)は哲学の博士号をとった後に映画製作を学んだ。デビュー作『コズモナウタ 宇宙飛行士』を2010年のイタリア映画祭で見た際には、彼女の社会主義への今日的な関心を感じとったものだったが、それが本作のような形で結実するとは! 
chiakihayashi

chiakihayashi