◆あらすじ◆
1961年、フルシチョフ政権下のソ連でリューダは共産党市政委員会のメンバーとして父と娘とともに暮らし、共産党による管理をより強化する姿勢を見せていた。しかし、物価高騰と食糧不足に抗議する大規模なストライキが機関車工場で発生し、リューダの娘はそのストライキに参加していた。ストライキで軍と民衆が衝突する中で、一発の銃声を契機に民衆への無差別銃撃が始まり、リューダは混乱する町の中で娘を探すのだが...。
◆感想◆
1961年のソ連を舞台に共産党へ忠誠を尽くしてきた女性が銃撃事件の発生の中で娘を捜索するうちにその忠誠が揺らぐ姿を描いており、共産党内部での責任の押し付け合いや事件の隠蔽などソ連の暗部に焦点を当てていて興味を惹きました。
リューダは共産党市政委員会のメンバーとして、国内が物価高騰や食糧不足で苦しむ中、特権的に食料やぜいたく品を手に入れ、また、共産党に抗う者に対して容赦ない対処を求める権力者らしい人物として描かれており、嫌悪感しかなかったです。機関車工場でのストライキが発生後もその姿勢は変わらず、荒れ狂う民衆からこそこそと隠れ逃げる姿は悪党にしか見えなかったです。
しかし、無差別銃撃が始まり民衆が倒れていく事態に陥ってから、リューダは娘の身を案じて危険も顧みずに町中を探し回ります。リューダの母親としての心情が全てを上回ったのだと思います。また、探し回る中で政府がストライキを含む一連の騒動を無かったものにしようとしていることを知り、リューダの気持ちが揺らぎ始めます。党に抗う者に容赦のなかったリューダもその抗う者に娘が入っていることで普通の母親になったのだと思います。
ストライキから銃撃事件までの流れで、共産党という組織の中で上が下の者を呼びつけて責め、さらにその上の者が下の者を呼びつけて責めるという繰り返しが起こっており、これはソ連だからではなく、官僚組織ならどこの国でも起こっている気がしました。結局、責任の所在を押し付け合う伝言ゲームが続くと思うと少し滑稽でした。
高圧的な役人だったリューダが娘が関わって母親に変わっていく姿が現実的で上手く描かれていたと思います。
鑑賞日:2024年10月10日
鑑賞方法:Amazon Prime Video