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空に住むの海のレビュー・感想・評価

空に住む(2020年製作の映画)
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それが何であっても、捨てたことのある人には、捨てられない人の気持ちが、その瞬間から時間をかけてゆっくりと理解できないものになっていく。そうやって遠のいていく人の背中を何度も見てきたような気がするし、その人たちと同じようにわたしも、背中を向けるべきではない人に向けてきたような気もする。ひとを失ったひとの気持ちが、わたしにはいつも遠すぎる。同じ関係にある人を、同じような時期に、同じような理由で失ったとしても、悲しいや寂しいの気持ちがどれほど似ていても、それらはすべて、本当にまったく違う出来事だと感じる。終わりがないからかもしれない。作中、時戸が何もかも分かってるよ俺って顔して直実に言った、「犬や猫のいいとこって…」に始まる台詞は、自分にとって信じられないほど気持ち悪く的外れなもので、嫌悪で吐けるほど胃がキュッとした。時戸はとんでもなく乱暴なキャラクターだ、口から出てくる言葉全てに生きている感じがなくて、今ポッと(この直実の体験のためだけに)出てきたような人間だった。ただ、この憎たらしい人間、が、本当に人間で合ってたのかどうかが、わたしにはわからなくなった。時戸はハルに会わない。だから時戸を見るとハルを思い出し、直実と会わなかったハルは今どんなふうに生きているのだろうかとわたしは考えた。嫌いでも出されたものを食べる猫。甘えられる場所が幾つもある猫。だけど帰る場所を持たない猫。居心地悪い場所からすぐに逃げ出せる猫。最後のときはひとりになれる猫。大人になった猫は、仔猫よりもずっと飼いならすのが難しい。時戸はそういう感じだった、ハルの持っているものの全てを持っていない代わりにハルの持てないものの全てを持っているような人だった。この人がもし、人間じゃなく猫だというなら、この人の台詞に、わたしは泣いたのだろう。痛みは和らいでも、傷が消えることはないんだといつからか思うようになった。痛みが和らぐというか、ただそこにある傷の痛いって感覚に慣れていくだけなのかもしれない。今までと違うように感じ始めるって場合もあるだろう。何度聴いても足りない音楽をくりかえし聴いていると時々すごく遠くまで行けそうになる。あと一歩届かなくて、これを追って死ぬまで生きていくことはできなくても永遠みたいに遠く感じる。思い出すってことに、沈み込んでいくような鈍い感覚じゃなくて、銃で撃たれるような、鼓膜を破られるような、そんな鋭い感覚も、最近は与えられる。とっくにわかってること、何度も何度も抱きなおさせてくれるやわらかないきもの。これが何かはわからないけれど、これだけは知っていてよかった。歩くとき、目を閉じて。立ち止まるとき、目を開けて。わたしの首を絞めたり冷たい水に沈めたり温かい毛布の中で眠らせてきた全ての、出来事や活動の蓄積、記憶とやらが、持っていた手を想像している。わたしの頬にふれ、ゆびの一本ずつにふれ、存在を確かめているとうめいなものたち。どうか、強めてくれ。奮い起こしてくれ。いちばん底に着くまでそらを飛んでいる言葉。本当の死とは、本当の忘却だ。
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