実子を売ろうとする母。他人の子を盗む母を描いた「万引き家族」から、テーマはそのままに立場をひっくり返している。
法を逸脱した疑似家族の逃避行に「3人の名付け親」を連想したがやはり意識したようだ。
万引き家族は、あの古びた家屋の存在感が作品に奥行きを生んでいたが、今作に「家」は登場しない。代わりに車で放浪し、その移動の過程でのドラマを描く。初の海外作品だった「真実」が室内劇メインだったのがやや肩透かしだったので、今回は色んなところでロケやってくれていて、それだけでも楽しかった。
ガラス越しの冷たい目線。次第に窓が開き、風が通る(ソウルでの観光バス)。「白と黒の間」を見せるサッカーボールやトンネル、劇場だからこそ見える絶妙な暗さ。「生まれてきてくれて…」のくだりは白と黒、どちらの世界にも存在できなかった自分への肯定。クリーニング屋は借り物の服を着ながら洗濯を繰り返し、辛うじて物を受け渡すことで人と繋がろうとする(娘へのケーキは手をつけてもらえない)
→ソヨンがラストで身を落ち着けるのは、誰かに施し、誰かの車を走らせるための場所。
雨は止んだが、白と黒は消えずに残る。ソンガンホの行方は?
・養護施設の夜、お前は希望の星だと言われる場面、空は曇っているが人工の明かりが輝いている。背景に点滅するネオンを取り込む場面も多く、仮の希望と共に生きようとする姿がぼんやりと浮かんでいる。ウソンも空に飛んでいける名前であり、実際に観覧車で宙に浮く。
・観客目線でブローカーを追う警察官(ペ・ドゥナ)。彼女が(観客と共に)考えを改める過程が描かれる親切な作り。ゴミを捨てていた彼女が、窓についた花びらを車内に入れる。万引き家族に「犯罪を肯定するのか」という謎批判が来た事へのカウンターと見るのは穿ち過ぎか。
・二つの視点を交互に描くハリウッド的=韓国映画的な脚本はあまり上手くいっておらず、ドラマがぼやけている印象を持った。両者が近づいたり交差したりするスリリングさに乏しく、個々の演出は素晴らしいものの、シーン同士がそこまで有機的に繋がってこない(刑事課のおっさんやヤクザの母親など、恐らくもう少し描写はあったんだろうが、尺の都合か尻切れとんぼな感じ)。
「真実」では、イーサンホーク阿部寛化現象のように、元々の是枝さんの魅力がフランスの役者、舞台でも上手く置き換えられていると感じた。宇野維正氏が指摘していてなるほどと思ったが、それは日仏の映画の作り方が日韓のそれよりも近いからであり、韓国=ハリウッド的な物語に挑戦した今作の方が、制作上のハードルは高かったと言える。例えばポンジュノで言うと「スノーピアサー」に近い位置付けの作品になりそうだ。
「真実」を見た時は「この経験を糧に次作で爆発を」と期待したが、今回も再びの挑戦作だったようだ。ポンジュノはスノーピアサーの6年後にパラサイトを撮った。6年くらいは余裕で待てる。70点。