うつろあくた

ジャパン・ロボットのうつろあくたのネタバレレビュー・内容・結末

ジャパン・ロボット(2019年製作の映画)
3.7

このレビューはネタバレを含みます

【あらすじ】
ロシア経由でケーララ州の片田舎にやってきた日本製ロボット、クンニャッパン。便利な機械を拒む頑固老人の心は、お手伝いロボットの登場によって変化していき、ロシアに働きに出かけた一人息子との関係も揺らぎ始める。(IMW2020サイトより)


ひとつだけ嘘をつく物語が好きだ。『ジャパン・ロボット』もそんな作品。日本製の試作アンドロイド Ver.5.25 愛称「クンニャッパン」。物語は彼(?)の存在以外はすべて我々の世界と「当たり前」を共有している。もちろん舞台であるインドのケーララ州のリアルについての知識がほとんどないから「当たり前」という演出を信じているだけではあるけど。

さて、ロボットに心はあるのか――このテーマは“ロボットもの”の永遠の定番である。もちろんこの作品でもこのテーマは取り扱われる。しかしそれは物語のメインテーマではなく、むしろ「人間はロボットに心の存在を感じるのか」が掘り下げられているように感じた。描きたいのは「人とロボットとの心温まる交流」ではきっとない。たまたま日常にロボットが紛れ込んだだけの人間たちの物語だ。

息子が連れてきた家事ロボット「クンニャッパン」を老人はガラクタと呼び、相手にしない。しかし二人(?)で暮らすうちに次第に愛着を覚え、人間扱いするようになる。それはなぜか?「便利」で「従順」だからだ。これまでは息子が一番「マシ」だったが、クンニャッパンはそれ以上に「便利」で「従順」で、更に「継続的」だったのだ。自分をずっと「愛してくれている」と感じたのだ。

物語の結末は少しビターだ。いくつか示唆されたハッピーエンドへの分岐も全て曖昧だ。ひょっとすると全て上手くいったのかもしれない。クンニャッパンのメモリは無事回収され、老人は想い人と再会し、息子との関係も修復される――逆にクンニャッパンのメモリも老人の心もすで壊れてしまっているかもしれない。解釈の余地を残したラストは観終わったあとも簡単には席を立たせてくれず、長く余韻を引く。

『ジャパン・ロボット』は設定から期待されるような感動ストーリーではない。人間は自分たちの都合で何にでも心を見出す。ちょっとやさしくされただけでいとも簡単に落とされてしまうチョロい存在なのだという警告を読み取ろうとするのは悲観的過ぎるだろうか。

夢がない? そうかもしれない。だがこれほど人間側の都合から一方的に描かれたロボットものは貴重だと思う。生活感に溢れるケーララの情景も含めてSFであることを忘れさせる印象的な作品だ。