女は女であるの作品情報・感想・評価 - 3ページ目

「女は女である」に投稿された感想・評価

キ

キの感想・評価

3.2
とんかちで カンカン叩くと出るシャワー

女の子は天邪鬼
美しい人のタバコは綺麗 魅力的

海外映画に出てくる女の子は ヒステリックで感情豊かでわがまま。なんて女の子らしいのかな。

ハッピーな 痴話喧嘩?。
綺

綺の感想・評価

4.0
最後のウインクがあまりにもチャーミング!身勝手が似合う女
喧嘩の仕方すべてかわいい、歯磨きしながらのやつがナンバーワン
miku

mikuの感想・評価

4.3
ゴダールもまたわたしたちと同じように、ボブフォッシーの振り付けでシドチャリシーとジーンケリーの出てくるような映画が好きなのだ、と気づくわけで。その難解さに何度も見るのを諦めたゴダールへの苦手意識が遠のく。なんたるかわいさの塊。スタンドライト持って歩いたり、本のタイトルで口喧嘩したり、路上でミュージカルの真似したり。今日中に子どもが欲しいと言いだして、ボーイフレンドを怒らせては仲直り。女は女である。
kenta

kentaの感想・評価

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tu t'laisses aller がかかるなか、主人公が悲しみに沈み物思いにふけるシーンが好き。
本使って会話してたり怒ってる途中にはみがしたりかわいかった
第四の壁めっちゃ感じた
rain

rainの感想・評価

4.0
色彩のイメージは赤と青と白🇫🇷
女と男と中性が世界を構成する。
「女にははぐらかす権利があるの エミール様 男にはないの」
「はやくしてくれ、テレビで『勝手にしやがれ』をみたい」草
男はやはりどんな女がいようとも男と一番強くつながりあっているのかもね

ステディで振りながら、間の抜けた言葉が挿入されるのおもしろかった。
フランスパンうまそう
パリの街の光、最高。
周縁部の樽型歪曲がすごい
古びたアパートメント好き
自分で傑作言うな、傑作だが
yukki

yukkiの感想・評価

4.0

このレビューはネタバレを含みます

劇がパロディーや現実それ自体、アンチ-劇へとくるくると交代し、悲劇と喜劇がころころと互いを周り合う、不思議な映画。

オーケストラの音、ルグランの声と共にスペクタクルの始まりを告げるわずか数秒にして完璧なオープニングロール。ルグランの流麗な音楽を無造作にブツブツにカットしておいて後半の極めて繊細なシーンにフルで活用したり、登場人物たちのシーンの後ろにずっとキスしているせいでかえって不気味なカップルを置いてラブストーリーを邪魔したり、大事なシーンをわざわざ字幕で解説してしまったり、そのほか好きだった演出が満載。センス溢れる映像作り、やっぱり分かりやすい初期のゴダールは好きだ...。 『シェルブールの雨傘』『5時から7時までのクレオ』を演出したベルナール・エヴァンの色彩感覚もとても良い。外国人女性相手のフランス語の言葉遊びには『勝手にしやがれ』と通ずるものを(特にラストシーン!)、ジャンヌ・モローのカメオ出演や諸々のパロディーにはいつもながらゴダールの強烈な映画愛を感じる。

嘘を言っているのか、本当を言っているのか、本人たちが自分で問題を難しくしていく恋愛映画というのは、それ自体フランス映画の伝統だなと改めて思う。自分が本当を言っているのか嘘を言っているのかは自分にしか分からない、それって悲しいのね、というアンナ・カリーナ(しかし彼女は自分がどちらを言っているのか分かっていない)に、ジャン=ポール・ベルモンドは1000フランであなたのお子さんの性別を教えます、当たらなければ返金しますと妊婦たちに言ってまわって二回に一回はあたる占いで儲けた友達の話をする。嘘か本当かという問いは、確率の問いによって乗り越えられてしまう。しかもその友人はといえば、今は盲人のふりをして人々からお金を集めているのだが、コスプレの盲人用サングラスのせいで本当に前が見えなくなっている… 人を食った真理観、それがラストへと引き伸ばされていった末に、窓の向こうに見えるのは(字幕ではなく)ネオンサインのFIN。なんとお洒落な終わり方。

ゴダールがこの作品を本当の意味での処女作と言っているのは面白いなと思う。この映画は極めてメタ映画的で、映画やお話、とりわけミュージカルの不可能性についての映画だ。そこに彼の出発点があるのだなと改めて思う。もっと言えば、虚構を楽しむことそれ自体よりも、人がいろいろな形で虚構を分泌してしまうその過程、その瞬間にこそ彼の関心は向けられていたのだ、と感じた。
oVERSON

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5.0
ウィ。って感じ。
Daiki

Daikiの感想・評価

3.0
カメラを通してこちら側に話しかけてくる演技がこの映画をよく表していると感じた。
俳優の制度化された役割をメタ視点から自己言及するユーモアは、恋愛において子供とは何なのかという葛藤に対する2人のシニカルな態度と共通するものがあり、女は女であるというトートロジーにも詩的な意味合いを与えている。