耶馬英彦

川っぺりムコリッタの耶馬英彦のレビュー・感想・評価

川っぺりムコリッタ(2021年製作の映画)
4.0
 地方の川沿いの町でのひと夏の物語だ。ストーリーが進むにつれて、蝉の鳴き声がミンミンゼミからツクツクボウシ、そしてヒグラシに変わる。
 本作品は仏教的な要素が強い。仏教は魂の救済というよりも、よりよく生きるための宗教だから、人間が生きるということを深く考察する。生きることは簡単に言えば食べること、そして寝ることである。だからなのか、食べるシーンと寝るシーンが多い。
 大したおかずがなくても、ご飯が上手に炊ければ満足な食事ができる。季節の野菜があれば最高だ。夏は夏の野菜。ウリ系の野菜が体の熱を冷ましてくれる。寝苦しい夏の夜を松山ケンイチが演じる主人公の山田は静かに眠る。

 生きるといえば、性生活も忘れてはならないが、本作品の松山ケンイチやムロツヨシには無理だから、その方面は満島ひかりがひとりで引き受ける。南さんはサバサバとした若い母親だが、性欲もあり、心には闇もある。妊婦の腹を蹴飛ばしたいという衝動は、なかなかの心の闇である。しかし理性で抑制しているから大丈夫だと言う。
 大丈夫じゃないのは山田の隣人のムロツヨシが演じる島田だ。こちらの心の闇は、生きていくことに疲れ果てて死んでしまいたいという願いである。欲望を最小限に生きる姿勢は、ほとんど修行中の菩薩のようだ。大雨が降ると川っぺりのホームレスを心配するのは、自分の境遇が彼らと違わないことを自覚しているからだろう。ミニマリストとはよく言ったものだ。毎日小さな幸せを見つけては、もう少し生きていようと思う。
 そのもう少しが積み重なれば、5年、10年となり、何かが分かる日が来ると、緒形直人の社長さんは言う。如何にも仏教的な励ましで、山田には何の慰めにもならないが、いつまでも自分を受け入れてくれるという社長の覚悟はよく分かる。有り難い話だ。

 ブッダの言葉をまとめた「スッタニパータ」には、悪魔パーピマンから「子のある者は子について喜び、また牛のある者は牛について喜ぶ。人間の執著するもとのものは喜びである。執著するもとのもののない人は実に喜ぶことがない」と言われたゴータマが「子のある者は子について憂い、また牛のある者は牛について憂う。実に人間の憂いは執著するもとのものである。執著するもとのもののない人は、憂うることがない」と返したと書かれている。
 ゴータマの言葉に主人公の山田が従うなら、違うストーリーになってしまうだろう。しかし本作品は仏教でも原始仏教ではなく宗派が分かれて儀式にこだわる現代の仏教に乗っかっているようだ。失礼な言い方をすれば葬式仏教である。山田は悟りを開くのではなく、世の中と折り合いをつける方向に進んでいく。

 山田の告白は甘えの発露にすぎないが、人と関わって生きていく以上、多少なりとも人に甘えざるを得ない。「スッタニパータ」の「犀の角」にあるように誰とも関わらずに生きていくことを覚悟していた山田だが、ハイツムコリッタの住人や職場の同僚や社長とのふれあいの中で、人に甘えて生きていくことをよしとするようになる。それは山田が寛容を獲得したということでもある。他人の甘えも受け入れるということだ。自分を追い詰めなくてもいい。小さな幸せが今日を生かしてくれるのだ。
耶馬英彦

耶馬英彦