凛太朗

セブンの凛太朗のレビュー・感想・評価

セブン(1995年製作の映画)
4.8
何回観ても最悪な後味の悪さ加減も含めて最高の映画。
ジャンルは心理ホラーなのかサスペンスなのか?
ミルトンの『失楽園』やダンテの『神曲』、ジェフリー・チョーサーの『カンタベリー物語』などの厨二心を擽る著書を基に、七つの大罪に沿って殺人が行われ物語が進行していくが、ミステリー要素も薄ければこれらの著書が重要だということでもない。
『失楽園』や『神曲』を読んでたら、セブン以外の映画も多少なり広い見方ができるってのはありますが。(新旧約聖書もそうですが)

若くて血気盛んで、この世の中捨てたもんでもないしいくらでも変えられると思っている若き刑事ミルズ(ブラッド・ピット)と、色々なものを見てきて疲れ果て、この世界にも辟易としていてさっさと引退したいと思っている、メトロノームを使って眠りにつくような几帳面な老刑事サマセット(モーガン・フリーマン)が主人公のバディ・ムービーとなっていますが、『エイリアン3』で大コケしたはずのデヴィッド・フィンチャー鬼才っぷりが、オープニングから冴えまくっている映画ですね。
明らかにヤベー奴が何かヤベーことをやっているのだけれど、NINのインダストリアルな楽曲に合わせて兎に角スタイリッシュ且つモダンで不気味である。
カイル・クーパーの手腕がでかすぎる。

オープニングもいいけど、銀残しをやってローキーに拘った撮影。
屋外では殆ど雨か、湿っぽくて暗い屋内において、この撮影手腕が陰鬱さを生むのに輝きまくっております。
そこに、図書館での鮮やかな緑の照明や、捜査用の緑の手袋などの小道具が映えてます。
カメラもキューブリックばりにシンメトリックに撮ってみたり、人物の前に小道具置いて絵的に映えさせたり、ローアングルから舐めるように撮ってみたり、脚本の良さもさることながら、映像として飽きさせない。

この映画、結局ケビン・スペイシー扮するジョン・ドゥっていう名無しの権兵衛さんみたいな方が犯人なわけですが、彼には彼の正義があります。
そしてミルズにもミルズの正義があります。
この世界は変えることができると思っている点では、やり方は違えど一緒ですね。
そしてサマセット。
この人は、ミルズとは思想的に相反する立場に置かれていますが、この人もジョン・ドゥとの共通点が山ほどあります。
几帳面な性格を始め、言葉は違えど同じことを言っているようなシーンが沢山あります。
要するに、ミルズやサマセットも、一歩間違えればジョン・ドゥになっていたかもしれないんですね。
特にサマセットは、この世界に絶望して無関心を決め込んでいただけに危うい。
おまけにその無関心の意思も決して硬いわけではありません。
ミルズという流れにガンガン流されまくっております。
違う正義に背中を押されていたら?
ミルズもジョン・ドゥの挑発に乗って流され負けてしまっています。
殺風景な景色の中で靡く段ボール箱とミルズの表情が切ないを通り越して絶望しかない。

なんせ人間の意思なんてものは脆いものである。
ジョン・ドゥは言っておりました。
七つの大罪を働く者もとんでもない罪を犯しているが、もっと悪いのはそこら辺にいる凡ゆる大衆である。それも終わりだ。みんな気づくだろう。と。
明言はしていませんが、これは明らかに無関心を決め込んでいる大衆を指して言っている言葉で、無関心こそ七つの大罪よりも大きな罪だと言っているわけです。
警察署内で血だらけの男が「刑事さーん」って言ってるのにも気付かず、ハンマーで殴るような大声で叫んでやっと気づくような、そんな大衆に向けて言ってるんですね。
これは、なんで俺様の素晴らしい才能に気付かない!っていう『エイリアン3』で盛大に転けたフィンチャーの声かもしれませんし、タワレコの店員をしてくすぶっていた脚本家のアンドリュー・ケヴィン・ウォーカーの声かもしれません。

ヘミングウェイはこう書いていた。「この世界は素晴らしい。戦う価値がある。」後半の部分は賛成だ。
この言葉も、あのミルズを前にしては、サマセットなりの前向きな気持ちであったとしても複雑である。
凛太朗

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