ジャン黒糖

ハクション!のジャン黒糖のレビュー・感想・評価

ハクション!(2020年製作の映画)
2.9
監督で観る映画。
今回はNetflixで話題のホラー『呪詛』のケヴィン・コー監督①。
(※ちなみに本作はPeter Tsiさんとの共同監督という位置付けとのこと)

色々とツッコミどころのある微妙な映画だったけど、『呪詛』も立て続けに観ることで2作に共通する監督の特徴みたいなものが見えて来ました!
話題作の監督の前作が、Netflixで観られるというのにMarks!が50件にも満たないだなんて!

【物語】
スーパーヒーローが実在する世界が舞台。
雷の力を持つ“イナズマヒーロー”はかつて、スーパーパワーを秘めた結晶を武器に脅かしていた悪“ギュル”との戦いでかろうじて勝利を収めるものの、甚大な被害に責任を感じ、姿を消した。
“イナズマヒーロー”なきいま、“ソニックマン”が街の平和のため活躍する一方、ギュルは復活に向け虎視眈々と活動を続ける。

一方、“イナズマヒーロー”とギュルの戦いの末、両親を失った孤児たちは皆同じ施設で暮らし、逞しく成長していた。
その中のひとり、イージーは同じ施設で暮らしていたシンシン姉さんのことがずっと好きでいたが、進学を機に彼女は施設を出ていく。
幼い頃、シンシン姉さんに「強い人が好き」と言われたイージーは、彼女に振り向いて貰いためボクシングを始めるのだが…。

【感想】
うむ、自分であらすじ書いててもやはり説明に少し苦労する。
というのも、主人公はヒーローではなく、この孤児院施設で暮らすイージーなのだから笑

勝ちもしないけどKO負けもしない打たれ強さだけで徐々にボクシング界で注目されていくイージー、どういう訳かくしゃみをやたら出すシンシン姉さん、そしてスーパーヒーローとヴィランたち。
この、スーパーヒーローが実在するという世界観はあくまで、主人公イージーの成長物語における背景であり、それゆえ物語全体の推進としても噛み合っているようで微妙に噛み合わせが悪かったりする。


中盤、現役ヒーローとして街を守るソニックマンを、ヴィランのギュルが襲撃して怪我を負わせてしまう場面がある。
ただ、この場面の直後、イージーとシンシン姉さんがちょっと良い雰囲気になっていく場面が描かれ、あれ、、、ソニックマンの安否は大丈夫なん?と心配になる。
なんか、、、どっちつかずな話だな、、、。


また、ボクシング界で徐々に注目されていくことになるイージーは、行方をくらました“イナズマヒーロー”のもとで修行を積むことになるのだけれど、この師匠の存在もまたどっちつかずで微妙。
ちょっとエロく、ユーモアを持って弟子を茶化すことからも、亀仙人的な奴かと思いきや、佇まいは常に暗いしほとんど笑わない。
彼がエロ本を読んでたクダリは笑っていいんだよね…?笑

しかも、そんな彼のもとでイージーはどんな攻撃にも耐えられる体づくりとして修行していくのだけど、その内容がスーパーヒーロー直伝トレーニングのわりにズバ抜けてすごいトレーニングには見えない。。。


また、なぜかシンシン姉さんが何度も出してしまうくしゃみも、何かのスーパー能力の一つなのかと思いきや、特段の説明がない。
このくしゃみも、シンシン姉さんにとっては「大切な人に対する嗅覚の能力」とかにしておけば、たとえば最後のギュルとの闘いの惨劇でどっかに行ってしまったイージーを探しにくしゃみをして、その姿が映画序盤で描かれた幼少期にイージーを探したエピソードと重なる、とかってもっとうまく使うことはできたろうに。。。


そして、この噛み合わせの悪さ、チグハグさを残したまま、物語は最後の戦いへと向かう。
試合は全敗だけどKOなしという打たれ強さで話題を集めたイージーにとって、最も危険と思われる強敵との試合が後半に待ち受けるも、シンシン姉さんがギュルによって危険に晒されるとわかると「試合より大切なことがある」といってあっさり試合放棄。
いや…わかるんだけど、、、え、、、?それまでボクシング成長物語として楽しめる側面もあったんだからさ、、、この展開はなんかボクシングに対して雑じゃない…?

しかもこのヒロインの危機に対しソニックマンも(ギュルに怪我負わされたはずなのに結局いつの間にか普通にヒーロー活動に戻ってた…笑)、電波ジャックしたギュルによる犯行映像を、中継先の市民たちと一緒に歯を食いしばって睨むばかりで現場に一向に向かおうとしない。
オイオイ、お前何やってんだよ、、、

しかも、ここでの師匠の扱いの軽さたるや、、呆気なさすぎて思わず唖然としてしまった。。。。笑


ということで、脚本のチグハグ具合が悪目立ちし(ちなみに脚本は『あの頃、君を追いかけた』『怪怪怪怪物!』のギデンズ・コーさん)、観終わると「なんだか変な映画を観たな」と、なんとも微妙な余韻が残る。
ぶっちゃけこの映画1本だけだったらかなり微妙な印象を残していた。
ただ、実は既にこの後に『呪詛』を観たいまからすると、この微妙な本作にさえ、ケヴィン・コー監督の作風であろうと思われる2作の共通点を見出し、そしてその共通点こそ、なんならこの映画の一番の特徴とも言える部分があったのでそこを最後に触れておく。


それはズバリ、おおよそこの現実世界からすると常識の範囲を超えた“チカラ”が、現実のものとして眼前に存在・表出した時、その“チカラ”を前に無力な人間が、それでも自身を奮い立たせ、立ち向かおうとする姿だ。

本作ではスーパーヒーローやヴィランのような“チカラ”を一切持たない平凡な主人公イージーが、シンシン姉さんがかつて言った「強い人が好き」という言葉が原動力となってボクシングを始め、やがては圧倒的に勝てないハズのヴィラン・ギュルに拳を振る姿が描かれる。

そして最新作『呪詛』では、呪いという正体が目に見えない、手触りのない“チカラ”に対し、娘を救うために翻弄する主人公・母の姿が描かれる。

本作の場合、その“チカラ”を持った側であるスーパーヒーロー、ヴィラン側の話と、“チカラ”を持たない側であるイージー、シンシン姉さんの話が絶妙に噛み合っていなく、映画全体としては微妙な余韻を残す映画だったけれど、『呪詛』も立て続けに観ることで、2作に共通するこのテーマは実は監督がかなり意図した題材だったりするのかもしれない、と思った。
では、果たして話題の『呪詛』がどんな映画だったのかについては改めてそちらのレビューにて詳しく。


あ、ちなみに本作冒頭で立体的に映画タイトルが出て、その立体的な文字の高さの部分にスーパーヒーローたちが映し出される描写は本当MCUみたいでモロパクリ感は良かった笑
ではでは〜。
ジャン黒糖

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