Jeffrey

土曜の夜と日曜の朝のJeffreyのレビュー・感想・評価

土曜の夜と日曜の朝(1960年製作の映画)
3.8
「土曜の夜と日曜の朝」

〜最初に一言、怒れる世代の代表的作家アラン・シリトーの処女小説で、イギリス中部の都市ノッティンガムを舞台に労働者階級の日常を描いた小説を映画化した傑作で、チェコスロバキア生まれのカレル・ライスが初監督し世界的に大ヒットした。停滞するイギリス映画に別れを告げ、世界にブリティッシュ・ニューウェーブの台頭を決定づけたまさに真の映画である〜

本作は怒れる若者たちの作家アラン・シリトーの原作、脚色を映画化したフリー・シネマのカレル・ライス監督による1960年製作の社会ドラマで、この度久々にDVDで見たが素晴らしい。撮影をフレディ・フランシスが担当し、音楽をジョン・ダンクワースが受け持ち、出演するのは新人アルバート・フィニーである。そもそもこの作品が作り出された過程においては、リチャードソンによる傑作作品が興行的な成功を収めるまでには至らなかったと言うことがあり、盟友のライスの長編デビュー作のプロデューサーを務めた事柄が始まりだ。この作品こそ、真にイギリス映画の新しい波(フリー・シネマ)を世界的に知らしめることになった最初のヒット作であり、傑作である事は誰もが認めている事実である。監督のライスは、チェコ生まれの亡命ユダヤ人で、ケンブリッジ大学在学中から映画批評を執筆し、オックスフォード大学出身のリンゼイ・アンダーソン(if...もしもでパルムドールを受賞した監督)らとともに映画評論誌シークエンス、サイト&サウンドの編集を手がけたのは有名な話だ。


その点においては、フランスのカイエ・デュ・シネマ誌を拠点にして批評家から映画作家に転身したフランスのヌーヴェルヴァーグの監督たちを彷沸とさせるだろう。ところが、ライスがトリュフォーやゴダールと決定的に違うのは、彼の作品には、当初から醒めた社会批判の問題意識が色濃く反映されている点にある。例えば、初期の短編「ママは許してくれない」(トニー・リチャードソンと共同監督しているもの)は、週末にジャズクラブに集まってくる若者たちを描いたドキュメンタリーである。詳しくは個々で調べて欲しいのだが、それに出てくるいくつかのエピソードが非常に際立って印象に残るのだ。ライスは、明らかにこの2つの階層をシニカルに対比させ、イギリスの階級社会の格差を痛烈に批判しているのだ。多分きっと、この作品が60年代初頭のブリティッシュ・ニューウェーブの物の見方を集約的に示している作品なんだと思う。確かフィリップ・ケンプって言う作家の人がそう言っていたのをリチャードソンの書籍だったか何かで読んだ覚えがある。


確かこの作品は公開されるやライスの映画は、労働者の無遠慮な言葉遣い、現実味のある描写に反対する人々から非難を浴びることになって、ワーウィックシャーの地元の権力者からは卑猥であると禁止され、ノッティンガムの中心部を選曲とする保守党の国会議員からは、敬意に値するまっとうに生きる選挙民を侮辱していると非難されて、それが逆手になり本作を批評的にも興行的にもヒットし、英国アカデミー賞をを3つも受賞したと言う話がある。これが成功してブリティッシュ・ニューウェーブは決定的に一方踏み出したには違いない。この映画もそうだし、トニー・リチャードソンの他の作品もそうだが、基本的に主人公たちはそこそこ給料もらい、同僚の妻と寝る工場労働者の若者のエネルギーに満ち溢れた生活をピカレスク・ロマン風に描いている。生活に持続し、自身の階級にとらわれていることに気づくこともしない主人公に批判的な眼差しを注いでいるが、主人公演じたアルバート・フィニーの圧倒的存在感もあり、映画はヒットしたんだなと思う。前置きはこの辺にして物語を説明していきたいと思う。


さて、物語は21歳のアーサー・シートンは、イングランド中部の工業都市ノッティンガムで旋盤工として働いている。月曜日から金曜日まで働いて週給14ポンド3シリング2ペンスの出来高払い。腕はいいが、必要以上に働いて出世しようなどと言う気はさらさらない。生きがいは週末だけだ。金曜日、就業終了のサイレンが鳴るといよいよ彼の週末が始まる。スーツに着替えひいきのパブで飲み比べ。顔見知りを冷やかしでは憂さを晴らす。挙句は階段から転げ落ちいる始末。アーサーは同じ工場で働くジャックの妻ブレンダと情事にふけっている。ジャックが休暇で海岸へ出かけた息子を迎えに行ったのをいいことに、家に入り込みブレンダと一夜を過ごす。翌朝、アーサーはちゃっかり亭主の椅子に座り朝食をとっている。ジャックが息子を連れて帰ってきた。何食わぬ顔で裏口から抜け出すとその足で行きつけのパブ。そこで魅力的な若い女ドリーンに目をつけた。彼女は家族と一緒にパブへ来ていた。楚々として真面目そうだ。


ジャックが夜間勤務になると、アーサーは足繁くブレンダとの密会を重ねる。密会は場所を選ばない。ある夜、2人は公園の茂みの中でことを終えるとクラブの前に出た。なんとそこにはジャックのバイクが。驚いたブレンダは打ち合わせ通り妹を尋ねるからとそそくさと退散。アーサーもまた何食わぬ顔でクラブに入っていきジャックと世間話。彼はブレンダとの情事の一方で、ドリーンともデートを重ねた。アーサーがドリーンを落とせないでジリジリしていたある日、ブレンダから妊娠していると告げられる。事の顛末の責任は自分ではなくアーサーだと言う。さすがに狼狽するアーサーは伯母の家にブレンダを連れて行き、堕胎の方策をとるが、失敗に終わり潜りの医者に払う費用をブレンダから請求される。その頃すでにアーサーの気持ちはドリーンに移っていた。

ブレンダーもそれを察している。ある夜、祭りで盛り上がる遊園地でブレンダーは、楽しげにデートするアーサーとドリーンを見つける。彼もその視線を感じ、とっさにブレンダを物陰に呼び弁明する。ブレンダは離れてしまった彼の心を知る。こんな2人の行動を不審に思ったジャックは弟の兵士とその友人にアーサーを襲わせる。叩きのめされたアーサーは病院送りだ。1週間の安静の後、アーサーは工場へ復帰。その間、見舞いに訪れたドリーンにブレンダのことを素直に話した。ジャックとも工場で鉢合わせ。気弱な亭主も今度ばかりは釘をさしてくる。郊外を散歩するアーサーとドリーン。無人らしき新築の家々に向けて石を投げるアーサー。交わされる会話…とがっつり説明するとこんな感じで、英国社会を反映し、英国の階級社会を痛烈に批判した映画だ。この作品を一言で表すなら怒れる若者の全てと言える。更に主演のフィニーの存在感と精神が映画を強化してる。


それにしても戦後イギリスの荒涼とした都市景観を鮮やかに切り取っている点は非常に評価できる。特に、遊園地でブレンダとアーサーが乗ったカートが暴走し始める幻想的なシーン、空き地でアーサーが殴打される光景は、光と闇のコントラストが強烈で、ドイツ表現主義の怪奇映画を鑑賞しているようだと言う評論家も多くいた。そういえば、この作品ですごい強く印象に残るレイチェル・ロバーツは、同じフリー・シネマで活躍していたアンダーソンの長編デビュー作「孤独の報酬」でも未亡人役として出ていたなぁ。私も先月仲の良い映画好きな友達たちと自分が初の監督を務めた作品がようやく編集も終わり、そろそろYouTubeでアップしようと思っているのだが、この作品に出ている重工業都市のうらぶれた詩情と美を鮮やかに刻印しているモノクロ映画にすごく魅了されて、今度制作予定の短編映画の際は、そういったところを舞台にしたいなとふと思った。

最後に、アルバート・フィニーがとってもハンサムで、ぜひともコッポラの作品とかに出て欲しかった。彼はジェームズ・ディーンのような風貌があって良い。とにかく反抗的な青年を熱演し一気にスターダムにのし上がっていった感じがすごくこの映画からも伝わるほど最高の演技をしている。確か「ドレッサー」ではベルリン国際映画祭主演男優賞受賞していたと思う。アカデミー賞にも何かの作品でノミネートされていたような気もするのだが。といってもアルバート・フィニーと言えば「エリン・ブロコビッチ」でアカデミー助演賞も候補されているのは有名で、彼を初めて知ったのもその作品からである。まだ未見の方はオススメである。
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