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ドライブ・マイ・カーのAPlaceInTheSunのレビュー・感想・評価

ドライブ・マイ・カー(2021年製作の映画)
4.8
とにかく何ヶ月も前から楽しみにしていた作品を公開初日に鑑賞。とりとめなく思った事を書き連ねて後で整理

■これから鑑賞される方にアドバイス
村上春樹短編集『女のいない男たち』に収められた「ドライブ・マイ・カー」「シェエラザード」「木野」は読んだ方が何倍も楽しめます。

でももしかすると原作以上に重要なのはチェーホフの戯曲「ワーニャ伯父さん」かもです。少なくとも登場人物とあらすじを押さえとくだけで本作の深みを存分に味わう事が出来る気がします。

-----------以下、内容に触れます----------

■実験的な試みを幾つもやりながら、後世まで語り継がれるような普遍性をもった傑作。
でもやっぱこれ凄い実験的な映画だという印象が強い。
1 アバンタイトルが40分!長い長過ぎ
2 劇中劇や演劇練習を多言語で!それも手話込み。
手話がこんなに頻繁に登場する映画も中々ないのでは。
本作で発見したのは、手話にも強弱や感情を乗せる事が出来るという事(考えてみれば当然の事なのだが)。
話者の表情の強度、手を動かす速さ、震えるほど力を入れた時の手話が持つ切実さ。
3 回想シーンが全然無かった。普通の映画ならあそこも、あの場面も、回想シーン使って観客の興味を持続させるはずって所多し。
安易な共感や感動を拒絶するかのような演出
4 濱口メソッド演出の演技練習を登場人物達にさせながら、登場人物達は濱口メソッド演技をする、入れ子構造。
何が演技なのか、何が素なのか。

重層的な物語構造。難解とは言わないまでも、味わい尽くすにはハイコンテクストだ~
・家福と妻、音の物語
・みさきと母親の物語
・ワーニャ伯父さんのソーニャの物語
・(原作の一つでもある「シェエラザード」の好きな子の家に忍び込む女性の物語)
・広島で演劇を主催してた夫婦

《そういや原作では家福の妻には名前ついてたかな?名前は無かったような気が。 映画化にあたって「音」という名前にしてると思う。
車内で妻の声を「音」として聴く。そのことが、その音を聞くたびにが家福に呪いのように浄化されない気持ちが沸き起こる。みたいな。》

公園で立ち稽古をするシーン。イ・ユナ(パクユリム)とジャニス・チャン(ソニアユアン)の演技が昇華して何かが立ち上がる。
演出家の家福(西島秀俊)は言う。
「いま、俳優間で(求める演技が)立ち上がった。次はこれを観客の前で立ち上げるんだ」
これが本作の一つの大きなテーマ。
(家福とミサキが北海道に行くシーン、
ラスト近くの劇中劇ワーニャ伯父さんでの手話長回しシーンでは
「立ち上がって」いた)

■喪失から再生の物語
 同じく中年男性の再生を描いたチェーホフ「ワーニャ伯父さん」の引用
 何度も繰り返されるワーニャ伯父さん劇中劇。

■演じるという事
1演じなくては生きていけない人がいる
・みさきの母は、日常的に娘であるみさきに暴力をふるっていたらしいが、時折、別人格の八歳のサチになる。サチは弱くて上手く歩く事が出来ない事もある。泣き虫。
でもサチだけがミサキの唯一の友達だった。
・音は、悠介の前で演じていたのか?
 「リョウスケを全身で愛する音も、複数の他の男性と肉体関係を持つ音も、同じ、ウソ偽りのない音さんだと思う」ミサキのセリフ
2濱口竜介監督ならではの演技メソッド
濱口監督は独自の演技理論「濱口メソッド」で知られていて、若い俳優向けにワークショップを開催している。
作中で描かれている演技指導が正に濱口メソッドで台本が身体に染み込むまで何度も何度も本読みを繰り返すというのも大きな特徴。
とにかく「演技」に関して誰よりも拘る監督にとって村上春樹「ドライブ・マイ・カー」は力が入らない訳がないモチーフだと言うこと。

■何層にも重なった演技へのアプローチ
劇中劇だけでなく、
劇中「舞台稽古」「本読み」、「車内でのカセットテープによる台本読み」

これらで話される言葉の発信点はどこにあるのか。セリフの筈なのに人物が自然に発した言葉のように感じられたら、それは成功。それが「立ち上がる」まで。


『チェーホフの脚本は凄い。自分を全て差し出さなければ演じられない。もう俺はあれには耐えられない。』
音を失った直後と、ラストのワーニャ伯父さん 同じ場面を演じているが悠介の舞台袖での苦悩が解消されている

■ドライブする事
 濱口監督はインタビューで「映画はMotionPictureだから動いてナンボだと思います。だから車に乗って動く事は映画的。」みたいな事を話していた。
 ありふれた日本の風景に車が走るだけなのに、何か画的に魅力される。

 車でドライブするシーンが多用される本作において、家福にとってドライブが一種のセラピーやメディテーションの効果があるのだろう。
 また、車内は密室。家福とドライバーのミサキは互いに無口でココロを閉ざしていたが、徐々に心を許し合う仲になる。カセットテープで流れるワーニャ伯父さんの台本を媒介として。あるいはミサキの優れだ運転技術を信頼の基礎として。あるいは、家福が大切に乗り続けている車サーブ900ターボを仲介として。
 家福と同様に、ミサキも大切な人を亡くした喪失感に苛まれていた事がわかる。(大きな喪失感を抱えた二人が身を寄せ合うというのはいかにも村上春樹的なモチーフ。)

■印象的なカット、シーン
1ごみ処理施設、広島
2 ドライブ中の二人の喫煙 夜空にタバコ二本
3北海道ミサキの故郷に到着した時の、全くの無音。白い雪。
4ラスト劇中劇、ソーニャの手話による長台詞からの、ソーニャの背中舐めの客席ショット。生きるための光を観客へも含めて示される。
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