パケ猫パケたん

ドライブ・マイ・カーのパケ猫パケたんのネタバレレビュー・内容・結末

ドライブ・マイ・カー(2021年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

【最後に、ラストシーンに言及しますので、見ていない人は、読まないで下さい。】

村上春樹の原作も、ベケットの『ゴドーを待ちながら』も、チェーホフの『ワーニャ伯父さん』も、未読、未見、ましてや、最終回に鑑賞だったので、パンフレットも未購読の私には、理解が難しかった。だから、採点はしません。

まぁ、ある程度の正確な理解のためには、再鑑賞と、原作の戯曲の読了は必須だろうと思う。

それでも鑑賞中に、色々考えて観ていたが、また、考える空間的或いは時間的な余白がある映画で、貴重な時間を過ごしたかと思う。

映像的には、平和都市である広島市と、その近郊が、素晴らしく立体的かつ、近未来のように魅力的に撮られており、美しい。

また、西島秀俊は哲学的なオブジェの役が似合い、スタイルの良い、霧島れいかとの絡みも、最高。そして、三浦透子のぶれない直線性みたいな演技と演出に、光るものがあった。

とにかく、ひとつの道のりとして、平和であろうと伸びていく広島市。

まぁ、補完的であれ、様々に解釈を施して鑑賞していた訳だが、ラストシーンに激しい衝撃を覚えた。

【ここから、ラストシーンについて】

作中で、西島秀俊演ずるところの男が、「チェーホフを演ずることひ怖い。知らない間に、自分を引き摺り出させる事になるから。」みたいなことを語っていた。

皆さんが、無意識の中に、畏れている近未来が、正に映画の中に描かれているので、驚愕した。

こんな事を映画に描いてしまったら、実現してしまう言霊(ことだま)みたいなものが、映画にはあるのではないか?

しかも、文化庁の助成金で作られているので、国もグルの何かの陰謀かなと、怖くなった。

主人公たちは、雪の北海道を目指す訳だが、コレはロシアの大地、いや、華北の北京を連想させる。

ただ、三浦透子を演じる役の女性が、「人の、ウソと本音を掻き分けることの出来る」嗅覚の優れた人間だから、生き延びれたのではないか。

彼女の母は、労働以外何もかも失われた人間だったので、共産主義や全体主義の下で生きざるを得ない人間と、被ってくる。

そして、三浦透子の横には、西島秀俊ではなく、大型の犬か鎮座している。彼の嗅覚では無理だったのかな。

考えるとこの犬の存在が、未来の体制を痛烈に批判しており、脚本かつ監督の濱口竜介氏がイヌではないことをを証明している。

だから、カンヌ映画祭で脚本賞受賞も納得の、恐ろしい脚本であった。

村上春樹の描く様な、平行社会はドコで間違ってしまったのか?

アウトラインを検索すれば、『ゴドーを待ちながら』、『ワーニャ伯父さん』共に、不条理ながらも、この世の中を、生き延びることがラストとなっている模様。

知識が増えれば、解釈が捗れば、加筆します。