岡田拓朗

ドライブ・マイ・カーの岡田拓朗のレビュー・感想・評価

ドライブ・マイ・カー(2021年製作の映画)
4.6
ドライブ・マイ・カー

この運命から、目を逸らさない。

第74回カンヌ国際映画祭脚本賞を受賞した濱口竜介監督の待望の最新作。

まごうことなき大傑作だった。

こんなにも丁寧に奥深く、幅広いアプローチで喪失からの再生と救いを描く映画を観たのは初めてかもしれない。

濱口竜介監督らしい人間のコミュニケーションにおける複雑さや多様性が詰め込まれていて、それが自分が全く考えたことないような領域にまで踏み込まれていくから、生きていくうえでの新しい扉が開かれたような感覚が残る。
言語や言葉だけではない、わかり合えるきっかけを与えてくれている。

踏み込むことが難しいほどの心の奥底に、あらゆる手段でもがきながら、ついには踏み込んでしまう凄さ!本当に圧巻!

個人的にそれを強く感じた『ハッピーアワー』は317分もの長尺の中でも、どのシーンも作品にとって必要性だったことを、クライマックスに向かうにつれて強く感じられるようになっていった。

本作も179分と映画としては長めの尺となっており、冒頭だけだと一つ一つのシーンが描かれている意味を捉えることは難しい。

それでも物語が進んでいくにつれて、そこまでが描かれていた意味やそこがあったからこそ、あそこまでの深くいろんなことを感じられる作品になったんだなと、良い意味で想定外な腑に落としてくれる作りになっている。

何を伝えたいかよりも、人間の底知れなさを描きながら、どこまでいってもわかり合うことが難しいかもしれないけど、真実や相手や自分と向き合い、あらゆる方法で対話することで、それぞれをありのままで受け入れて生きることができる可能性を示唆しているように感じた。

でもそれは一人だと気づけないこともあり、なかなか難しくて、共有し合える誰かの存在が必要になる。

妻を亡くした舞台俳優で演出家でもある家福は、良くも悪くも感情が見えてこない。
それはまるで『永い言い訳』の幸夫のようで、心の中にぽっかりと穴が空いているような喪失感を随所に感じる。

ドライバーとして出会ったみさきと過ごしていく中で、境遇は違うが似たような喪失感と孤独感を持つ2人は、お互いの過去について話す関係へと進展していく。

どこから物語にドライブがかかってくるのかわからないままに進んでいきながら、いつのまにかのめり込んでいて、目が離せなくなる展開に。

『ワーニャ叔父さん』をベースとした演劇と現実が徐々にリンクするような形で、繰り返される車の中での朗読と本読みの強度がどんどん増していく。
そして、その中で演じること、生きること、愛することにおいての感情の振れ幅や繊細さや本質が浮き彫りになっていく。

特に心に残っているのは「真実は大したことがなくて、一番怖いのは知らない真実があるということ」
どうしても関係を保つために踏み込めない領域があったり、目を背けていたいことがあったりすることは生きていく中で必ず出てくると思う。

もし仮にその真実を知っていたらしないような言動があったり、逆に向き合えることがあったり、改めることがあったり、何かしらを変えることに繋がるだろう。
それで結果が変わることもあって、それはそのときに知らなければどうしようもできない。
そこで向き合い切らなければ(起こってからでは遅くて)もう後悔するしかない。
そして、そこには罪悪感が生まれていく。

その中で放たれる(予告でも流れる)セリフ「僕は、正しく傷つくべきだった」がとても刺さって、じんわりと沁み渡っていった。
この映画の全てを物語っているようで。

それでも人はそんなに全てのことに向き合えるほど余裕があるわけでも、強いわけでもない。
どうしようもできなかったことを抱えながら生きていく人生は誰にでも起こり得る可能性があって、そのときに抱かざるを得ない罪悪感にどう向き合って再生に変えて、救いを与えていくのかが、本作には綺麗に描かれていた。

それ以外にも幸せの形の多様性、高槻の存在によって魅せられる物語の起伏と人間の満たされなさや人間の不可解性にも触れられていて、総じてどこまでも壮大で奥深く、それゆえに咀嚼するのも大変。

決して声を荒げたり泣き叫ぶような演出を作らずに、静かに脚本と物語と見せ方で移り変わりや感情や気持ちを表現し、世界観に引き込んでいく稀有で素晴らしい傑作だった。

P.S.
短編小説からここまでの物語が生まれるくらいの原作がどんなものなのか読みたくなった。
でも個人的には『ハッピーアワー』の方がやっぱり好きで、3作の中で『寝ても覚めても』が一番観やすくてわかりやすい映画であったことに驚きを隠せない。
岡田拓朗

岡田拓朗