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ドライブ・マイ・カーのはまたにのレビュー・感想・評価

ドライブ・マイ・カー(2021年製作の映画)
4.8
ときには言葉以上に理解できると思うんです。

さりげない会話の中に作品の主題がさらりと表明されるのはよくあることだと思うんだけど、これだけの長尺、会話量、戯曲のセリフが散りばめられてるんだからどれを取っても(どう読み取っても)正解ではあるんだろう。
その中で言うと個人的にはこれだったかな。韓国人夫婦の家にお呼ばれしたとき、手話の嫁さんが言ったセリフ。だいぶうろ覚えだけど。

誰かを理解する、向かい合う、受け止める、愛し合う。そのために各々が無意識に選び取っているのが、いよいよ言葉を尽くすこと、じっと観察をすること、何度も繰り返すこと、他の人の100倍聞いてあげること、ひとまずセックスすること…等々。ときにはそれで言葉を超えるほどにわかりあえることもある。

でも、この夫婦の間では成立しなかった。お互いを大切に扱い、夫婦間の会話も豊富、性生活も順調そうに見えるが、夫は感情のすべてを妻にぶつけたわけではなかった。空き巣はよくても自慰はだめ。他の男と体を重ねることとあなたへの愛は両立するが、私にあなた自身を差し出さないことは耐えられない。空き巣と自慰の線引きが嘘も矛盾もなく同居する妻の中で、ほのかに暗い影が育つ。

夫にとっては真摯に向かい合っていたつもりが、妻にとってはそうではなかった。夫が優しさだと思ったそれは逃げだった。次の子がほしいかどうか、あなたに答えてほしかった。逢瀬が裏切りだと思うのなら、それを責め立ててほしかった。

娘を亡くしたときから石にしがみつくだけの存在になっていたヤツメウナギにとって、既にして半ば死んでいた妻にとって、唯一深いところでこの傷を分かちあえる夫がそむけた目線は致命的だった。と、夫は考えたが、答え合わせはできない。妻はもういない。いずれ真実は恐るるに足りないが、永遠に知らずに終わったことが恐ろしい。

…おい、このままいくとめちゃくちゃ長くなるぞ。

そんなこんなでございまして、もう言葉を交わせない妻をそれでも言葉以上に理解するために、ワーニャ伯父さんの舞台があり、ドライバーの彼女との邂逅があり、北海道へ向かう眠らずのドライブと過去との対面があり、自分をコントロールできない男の車中の独白がある。カセットテープの妻の声との読みあわせ、そのルーティンもやがて意味合いが変わったことだろう。

ドライバーの彼女は自分が母を殺したと思い、夫は自分が妻を殺したと思った。2人は言葉を超えたところで通じ合い、それでも生きていかねばならぬと白い世界で寄り添った。夫は今なら、娘を殺したのは私だとの思いを妻が抱えていただろうことを理解できる。そう読み取りました。

たぶん間違ってると思うけど、間口の広い作品なのでどの解釈でも許してもらえるでしょう!



…というか、ワーニャ伯父さんの舞台のことも手話姉さんのことも岡田将生(あの黒い目の妖しい輝きはなんだ!)のこともぜんっぜん触れらんなかった! くそっ! でも書くのめんどくさい!

とりあえず、お気に入りはお呼ばれした食卓のシーン。手話する傍ら通訳するんじゃなくて、ひととおりの動作が終わるのをしっかり見届けてから通訳するところがよかっただよ。映画の尺の関係上サクサク進めたくもなるところだけど、その一歩一歩踏みしめるような時間の流れこそが言語以上を表している気がする。最後の舞台のとこも含めて。

あと、関係ないけどどっかで「家福はあざなえる音の如し」ってうまいこと言いたかった。使うとこなかったわ。。

そしてこれかいちばん大事なとこなんだけど、韓国のドッペル川栄李奈ゲンガーとセクシー中華お姉さんのどっちって言われたら後者です。フローラよりビアンカ派!

濱口竜介監督、全作品もれなく5時間くらいあると思い込んでて興味なかったんですが、今作がめたんこよかったので他のも観てみます!
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