3時間もあるけれど、この3時間は必要な時間であり、誰かと打ち解ける為に対話を続けることの重要性を知るには不可欠な長さであると感じた。
原作が村上春樹ということでかなり身構えなければならないのかと思いきや、初めは確かにそうかもしれないが徐々に意外と言葉はスッと入ってきて来てその言葉の嵐に引き込まれていく。
セックスやオナニーといった惜しみない性欲とポエミーで自己満足的な言葉の連続である村上春樹色と、言葉の持つ力をその熱量でもって放つ濱口竜介色がバランス良く混ざり合い、文学的・自己問答的でありながら耳障りは心地良く分かりやすいという奇跡的な作風になっていた。
もちろん映画自体の長さは感じるが、映画体験が凄すぎて、心地良すぎて気付けば何十分も経っていたというような感覚だった。
4篇の短編の融合ということだったが、その繋ぎ目や構成は限りなくスムーズでパッチワークを感じさせない。
ドライバーのみさきの故郷に行く展開であるとかは多少毛色が違っていたが、それでも必要な展開なのではないかと納得せられる関係性が築かれていたと思う。
濱口竜介監督の普段からの演出方法である無感情での本読みも、もちろん役者全体に対してもそうであろうし、今回は映画の中の舞台劇にもその手法が取り入れられ、無感情からの感情の発露という起伏がより一層際立っていた。
濱口竜介監督はしばしば無感情の本読みから本番に生まれる役者相互のケミストリーを信じているということを語っていたが、そういった意味では感情の爆発といった点では物足りない部分もあったが劇的にし過ぎても下品になってしまうのでこのバランスが丁度良かった。
特に終盤、手話のみで語るシーンの表現力にはやられてしまい、言葉が重要な映画なのに言葉ではない手話で泣かされそうになってしまった。
多言語や手話を用いた舞台というのもなかなか斬新だった。