見えるものが全てなのか。
・鏡越しのシーン
・緑内障
・運転
・見えるのに事故を起こしてしまう
・上手く運転ができるようになりたかったわけではないけど、上手くなった、よく見える女の子、
・言葉では話せないけど、繋がっている夫妻。
目で見えるものは、すべてありのまま本当のことだから、見えないフリをしても、誰にとっても無かったことにはならない。
とはいえ、高槻のように見えてるものに、反応し、正直に生きていても、幸せになるとは限らない。
最終的に、3人とも各々人を殺した、という表現の過去を持つことになった。
「死んだ人を考え続ける」
「そうやって生きていかなくちゃ」
同じ経験ではなくても、同じ種類の悲しみを経験したもの同士の、心の繋がり方は深いよね、
「正しく傷つくべきだった」
「本当をやり過ごすべきだった」
ここまで、自分の辛いことに整理をつけるために、演劇のワークショップは力になったんだろう