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浜の朝日の嘘つきどもとのt0moriのネタバレレビュー・内容・結末

浜の朝日の嘘つきどもと(2021年製作の映画)
2.9

このレビューはネタバレを含みます

割と期待して行ったのだけど、正直、かなり残念な映画。

着眼点も話の運びも目指す着地点も、目新しくはないものの悪くない。だけど、台詞が冗長且つ多過ぎる。言わなくていいことまで全部台詞で言おうとしていて、いちいち興醒めしてしまう。

全体に段取りも良くない。引っかかったモヤモヤが解消されずにどんどん積まれて行って、なんともやるせない気持ちで劇場を出た。

そもそもなぜコロナ禍を設定に入れたのか? 入れた以上は、いくつかの場面(特に上映再開の場面)ではマスクをするべきだった。絵にならないからでは言い訳にならない。コロナがなかった世界ではないと宣言しちゃってるわけだから、今を生きる観客からしたら違和感しかない。そこを気にするのが野暮な事とは思わない。
もっと言えば、そこを軽んじてる段階で、ああ、所詮は震災についても話のネタ、過去の悲劇として消化した物語なんだな、と、そうでないとしても疑念が生まれてしまう。

一番呆れたのが病室での最期の場面。あの台詞は観客が気付いて、それに気付かず(或いは一旦スルーして)悲しんでいる登場人物を観て、アンビバレンツな思いを感じればいい事だと思うのだけど、わざわざ台詞にして確認させる必要があったのか? 
「茉莉子先生は最後まで周囲を笑わせて逝った」という様な去り際の故人らしさや美しさを、立ち会う人々で表現したかったのかも知れないけど、下手くそか!と心の中で叫んでいた。自分ならあの場面は涙で終わらせて、莉子とバオくん2人病室の外で涙も枯れた頃に、「最期の言葉、聞いた?」とか言って笑い出して思い出させて、また泣かせる。その方がよほど利いたと思うのだけど。

ラストシーンで、足場を解体しないのも解せない。職人が帰る前に、カメラは一旦劇場に背を向けていて、いくらでも時間差は誤魔化せるのに、なんで足場を取らなかったのだろう? あれで撤収する職人なんていないでしょうに……。

他にもなんでこうするかなあ、というところが随所にあって、ノイズが多過ぎて劇場で観るにはキツい映画だった。

大久保佳代子は芝居は一本調子でイマイチだったけど、そこに目を瞑れば、雰囲気があって良かったと思う。彼女以外にあの味は出せない、唯一無二性は備えていた。そのキャスティングには拍手。
高畑充希は当然良いとして、あの台本で演じるのは可哀想な気さえした。

作品の出自をまったく知らずに観た自分も悪いのだけど、テレビドラマの前日譚だそうで、そう思うと妙に納得してしまう。これはテレビのシナリオだしテレビの演出。ふとしたきっかけでテレビで観ていたら、キャラクターを愛せて(竹原ピストルは好きだし)、この映画版にも一定の愛着が生まれたかも知れないけど、残念ながら現時点では単体で評価せざるを得ない。

テレビドラマの方は観てみたくなったので、そういう意味では役割は果たしているのかも知れないが。

追記:よく考えてみると件のシーン、最期の言葉を受けて、その場で笑ってしまった方が良いな。笑いながらも、目の前で命を落とす先生、どうしようもなく悲しみが込み上げて涙が溢れるけど、笑いも止まらず、せめぎ合いながら、とか。
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